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【79】通い慣れた保育園と病院と [保育園送迎記]

 寒い日が続きます。身体が弱ったせいか、例年より寒さが厳しい気がしますが気のせいですかね。さて、わが孫たちは寒さにもめげずに毎日保育園に通っています。さすがに朝出かけるときはギャーギャーと機嫌が悪く騒ぐときもありますが、保育園に着いてしまえば、元気よく遊んでいます。
 
 さて、一昨日は私の3ヶ月に一度の診察日。孫2人をクルマで送ってから、病院へと向かいます。先々週からMRI(脳)、RI(骨)、CT(肺)と検査し、昨日は血液検査。これだけの検査を経ての診察です。結果を聞くのは何遍やっても不安な気持ちになるものです。このところ身体の調子はだいぶ上向きなのですが、検査の結果はそういうこととは無関係であるのは昨年春の検査結果からもわかります。からだの調子よくてもガンはできるのです。はい。

 検査の結果を受けて、主治医との会話。

医「一通り見ましたが、結論的に言うと異常はありません」
私「そうですか。それはそれは……(涙)←うそ」
医「見た目、異常はありませんが、どこかに隠れているかもしれません」
私「またそんなこわいこと言って」

 この医者はまだ若い。30代だと思う。だからこんな気安い言葉遣いをする。

医「どうですか、最近の調子は?」
私「それがかなり上向いているみたいで、いいんですよ。もちろん元(手術前)に戻って走り回れるほどではありませんが」
医「抗がん剤をやめてほぼ1年ですが」
私「調子がいいのは一時的かもしれませんが、やはりやめてよかったですね。その肺のCTの画像から良くなっているように見えますか」

 CTの肺の画像がモニターに映っている。知らない人が見たら、手術して半分ほど欠けた無惨な肺の画像を見るとギョッとするかもしれない。いわゆる手術痕に水がたまっている状態で、このおかげで息苦しさや立ちくらみなどが絶えなかったが、ここへきてだいぶ改善された。

医「いや、良くなってはいません。これはもう変わらんでしょう。ただ、ここへきて身体が慣れてきたのかもしれません。残っている機能が失った機能をカバーしだしたんですよ」
私「ラジオ体操を毎朝やってるんですが、両足跳びができるようになりましたよ」
医「ほう。それはいいことです。鍛えることを続けてください」
私「ただ、体重がなかなか戻りません」
医「そのうち筋肉が少しずつ戻ってきますよ。まだ64ですからね。脂肪で太ってはいけません」
私「ただ、転移や再発のリスクは依然としてあると?」
医「そうです!(いやにキッパリ)。5年もてばなんとか安心できますが」
私「そうなんです。80なら希望などいりませんが、まだあと10年くらいはとは思ってるんですが」
医「これまでの生活を続けてください。また3ヶ月後に来てください」

 このまま改善されていくのか、それともまた落とし穴が待っているのか。それはわからない。ただ、この病気とつきあいだしてもう6年以上になる。何が起こってもそう気落ちすることもなくなってきたように思う。なるようにしかならない。あるものをないとはいえない。

 さて、また今日も2人を迎えに行かなくてはならない。あと何年かな。私の身体が持つか、孫たちの卒園の方が早いか。だれにもわからない。



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【78】房守さんと九州北部豪雨ボランティア [保育園送迎記]

 わが生家の菩提寺は浄土真宗西本願寺派で万徳寺という。お寺さんとして、昔から地元の生活にとけ込んでいる。私も姉兄もここが経営する幼稚園に通っている。まだテレビも普及してなかった頃はここで開かれる講話などにも年寄りに連れられて通ったものだ。

 住職は私が小さいときからすでに3代目になろうとしている。いまの住職さんの奥様を房守(ぼうもり)さんという。この房守さんが事務的な処理など一切を取り仕切っている。今回の私の父の葬儀にあたってもなにかと相談に乗ってくれた。父が亡くなった翌朝6時過ぎに訪ねて、その日の朝の枕経(まくらぎょう)から通夜、翌日の葬式まで打合せ(お願い)をした。「そんな朝早く言って失礼ではないか」と一緒に行く義兄に言うと、「いや、朝のお勤めもあるから大丈夫だ」という。確かにきちんと対応してくれた。そういうものらしい。それと、こういうときの打ち合わせは2人で行くものだという。これもそういうものらしい、としか言えない。知らなかった。

 通夜、葬式とすんで、翌日、位牌と遺骨を持ってお礼をかねてお寺さんでお経を上げてもらう。そのあとかんたんな食事とお茶をいただく。その間の適当な頃合いをみてでお布施をわたす。このお布施の多寡が私などではわからない。お寺さんに直接聞くわけにもいかぬ。たとえ聞いても「それはおこころざしですから」とか「お気持ちですから」としかか言わないらしい。それはそうだろうし、実際、そう考えているようだ。

 この房守さんの話で、とても考えさせられたことがあった。計算をすると、父の四十九日は来年1月5日になる。それを今年中にお願いできないかという相談をした。それで年末にやることになったのだが、「あくまでもお父様の四十九日は1月5日です。それを生きている者の勝手で早めるということを忘れないでください」「身近な人の死はきちんと悼まなければなりません。奥様の葬儀にも出れなかったという芸能人がいましたが、そんなことを美談として受け取ってはなりません」「肉親など身近な人の死は十分に悼まなければなりません。そうでないと生きている人間の生までおろそかになってしまうのです」

 いや、こんな説教調で言われたわけではない。ごくふつうのていねいな話し方だ(『〜じゃないでしょうかね』)。しかし、私にはがつんがつんと響いてきた。母の死のときにも兄の死のときにも、そして親しかったあの人のときも、きちんとその死に向き合って自分の心の底にまで降りていって悼むことをしたか。そんなことはしない。悲しみたくない、落ち込みたくない、と日常の延長として流しただけだ。

 このお寺の脇を流れる桂川が7月の豪雨のとき氾濫した。濁流が橋を流し、橋桁には流木が重なり、泥水があたり一面を覆った。あたりの水田には3メートルもの泥が堆積した。そういう被害に遭った人間が私の知り合いにもいる。知り合い以外の人の話もいくらでも聞いた。しかし、水害のあと、多くの人がボランティアにやってきた。なかには自分でトラックにユンボを乗せてやってきた人もいるという。房守さんは、暑いので冷たいお茶でも出そうとしたが、「そんなことはしないでください」ときつく言われたという。「ああいう人がいっぱいいらっしゃるんですよ。しかも全国から」


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【77】「今朝の秋」を思い出した [保育園送迎記]

 11月18日に父が亡くなった。6月9日に入院して、5ヶ月とちょっと。入院時に心機能がすでにかなり低下していたこと、94歳という高齢を考えれば、ほとんど老衰と言っていいだろう。直接の死因は肺炎である。そのもととなった病気は重症左心機能低下症とクロストリジウムディフィシル腸炎というものである。このむずかしい名前の腸炎は調べてみると、こういう状況の高齢者にはめずらしい疾患ではないようだ。要するに抗生剤を使うことで腸内環境が悪化して悪玉の腸内細菌が跋扈して炎症を起こすのである。メカニズムは幼児などが抗生剤を使ことで下痢になるのと同じである。院内感染のもとにもなる。

「そろそろお身内の方を呼んでください」と看護士から言われた姉から電話があったのが17日の夜だった。私が父のベッド脇に着いたのが18日の18時過ぎだった。すでに意識はなく下顎呼吸になっていたが、それから4時間後に息を引き取った。「眠るように」というが、少しも苦しまないで、フェイドアウトしていった。私の最期もああありたいと思ったのだった。

 実は、極めて不謹慎というか、言いようがむずかしいが、私の心配事のひとつは父より早く私が死ぬことだった。なにしろ私はこの5年間に肺がんを2回発症し、手術を2回受けている。死を意識するのは当然だろう。幸い今現在は日常生活に支障がない程度には症状は改善しているが、いつまた再発や転移が襲ってくるかわからない。こういう状況だと、私が父より先に死ぬことは可能性としては十分にあったのである。

 しかも、母は25年前に私と同じ肺がんで死に、長男である兄は3年前に脳梗塞+肺炎で亡くなっている。この上私までも父より先にということになれば、父にとってこれ以上の悲しみはないだろう。だから私にがんが見つかっても、たいしたことはない、心配はいらない、と言い続けてきた。離れて住んでいるとはいえ、入院し、手術を受けるのだから、さすがにがんそのものを隠し通すことはできなかったが。だから父が亡くなって、この点(逆縁)についてだけは心が軽くなったのである。そして94歳という長寿であればこういう感慨を抱いても許されるのではないかと思うのである。

 山田太一脚本のドラマ「今朝の秋」というのがあった。笠智衆、杉村春子が親夫婦、杉浦直樹、倍賞美津子が息子夫婦という名優揃いの実に心にしみる名作だ。親子とも夫婦の亀裂があるなかで、息子のがんが末期となり、最期を迎えるなかで、それぞれの夫婦に和解が進んでいくという筋だったと思う。ここでも親より子が先に死ぬ。父親が末期がんの息子をそそのかして病院を抜け出す場面がある。息子の最期を自分が住んでいる蓼科の別荘で迎えさせようとするのだ。これが愉快だ。「自分だけが死ぬようなえらそうなことを言うな」(正確には違う台詞かも知れない)と、死に臨もうとする息子に父が言う。笠智衆!

 さて、私が留守している間、ちびっこたちの保育園送迎は息子夫婦が代わってやっていた。朝はタカシが、夕方はレミママが分担してやっていたそうな。ただしたった2日間であった。

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【76】雨続きの秋のひと日の晴れ間 [保育園送迎記]

 まったく雨ばかりの秋です。今日、明日くらいは晴れですが、週末からはまたしても台風がやってくるようで。となると、保育園の送迎も頭が痛い。自転車は使えず、クルマは駐車場が狭くてどうにも融通かきかないので、いつもハラハラする。
 
 最近、この団地から最寄りの東武野田線の馬込沢駅までコミュニティバスが運行するようになっているが、小さい子供を2人乗せて、降ろして、園まで歩かせるのもひと苦労である。バスの時刻も事前に把握しておかないと、30分以上も間隔が空いたりする。子供は雨で長靴を履いて傘をさして歩くのが楽しいらしく、濡れるのもかまわずふらふらと歩く。雨の日は疲れる。

 そんな日が続くと今日のような秋晴れの日はありがたくてお天道様に感謝感謝である。近くにある市営の霊園の向こう側にある谷間(谷津田)まで散歩に出た。ここは好きなところで、元気な頃はしょっちゅう足を伸ばしていたが、去年、手術してからは1年ぶりである。ちょうど今頃は十月桜が咲いている頃だと思ったが、すでに散って葉桜になっている。ただ、1本だけまだ咲き残っていた。

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 谷津田は湿地でもあり、小さな池がいくつかある。その回りに十月桜が植えてあるのだが、驚いたことに、池にはいつの間にか多くのカミツキガメが生息するようになっていた。天気がいいので、みんなで甲羅干しをしている。10匹もいるだろうか。私が近づくとバシャバシャと池に戻ったが、一番大きいやつは動きもせずにじっとしている。

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 どうしてこんな人里離れた谷間にカミツキガメが増えたのか。誰かが放しているに違いない。食用にもなるようだから、そのうちおいしいカミツキガメ料理でも考案してくれる人がでないかね。



 
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【75】人間病気で死ぬのではない? [保育園送迎記]

 しばらく秋の涼しさが続いていたが、ここ数日は夏に戻ったような暑さだ。暑いのも寒いのも今のからだにはこたえる。少し涼しい、湿り気もある、やさしい雨なら降っててもいい。そういう天気がからだには最適なようだ。手術以前の体力があれば、今頃は萩の花見に何度も山に出かけているだろう。寒くも暑くもなく、しとしと雨が降っているような、モヤで見通しがきかないくらいの天気がいい。

 先月の下旬は手術以来1年目で、造影剤入りのCTと診察だった。CT画像は念入りに専門家が診たようだが、再発はなさそうである。ただ、手術や合併症の跡が癒えていない。左肺に胸水が溜まっているのだが、水と言うが粘液質のものらしくそれが取れない。これが体力の回復を妨げている。いつまで経っても、息苦しさやだるさが抜けないのはこのせいである。

 私と主治医の会話である。
私「これは徐々にせよ回復するものですか?」
医「う〜ん」
私「回復せずにこのままこの状態が続くと?」
医「う〜ん。そういうこともあるかもしれない」
私「要するに先のことはわからないと?」
医「少しずつ運動したりすることで回復を図れるとは思いますが」
私「これを取る方法はないんですか」
医「はがしとる方法はないことはないが、確実性がない。危険だ」
私「こんな状態だと、術後の抗がん剤治療はやはり無理でしたね」
医「そうですね。やはり合併症の影響が大きいです」 

 術後の抗がん剤治療は1月に始めたが、1クール終えたところで白血球の回復が滞ったので、中止したものである。これを続ければ回復不能なダメージを被ったかもしれない。現にそういうことは起こっている。脊髄の造血機能にダメージを与えるほかにも腎機能がマヒすることもある。これも(字義通り)致命的である。抗がん剤治療を中止したことで、再発リスクが高まったともいえるし、もともと抗がん剤はその効果があやふやなので、治療を続けても再発リスクは変わらないし、逆に副作用のリスクの方が大きいということも言える。

 先日、大学時代の先輩と電話で話した。この人も病気やケガで難儀してきた人である。今も糖尿病と肝臓に故障を抱えている。

私「私の5年生存率は40から60%だそうです。5年後(70歳)も生きてる確率は五分五分です」
先「そんなら、普通の人間と変わらんじゃないか。70なら古来稀れなり」
私「そうですけど……」

「人間、病気やケガで死ぬのではない。寿命で死ぬのだ」という言い方がある。いい考え方で、寿命は短くてもいっこうにかまわないのだが、もう少しラク(元気)に生きられたらいいのになあ、と思う今日このごろである。

 
 

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【74】猛暑日から一転して気温が下がったら [保育園送迎記]

 豪雨のあとは台風です。台風が去ったあとは猛暑です。今年の夏はきわめて過酷な夏です。わが身にとってはさらに厳しい夏です。以前の健康な体力だと、暑い夏はむしろ歓迎で、梅雨明け十日のかんかん照りに、澄んだ青空と高山植物は夏山の醍醐味でした。

 と言いつつ、今日(11日)は一転朝から小雨が降ったり涼しい風が吹いたり、気温がグンと下がっています。過ごしやすいのは助かりますが、体調管理もままなりません。昨日は1歳10ヶ月のレンが朝から8℃以上の熱出して、保育園を休まざるを得なくなりました。午後になっても8度5分の熱。明日から連休ということもあり、近くの小児科病院に連れて行こうとしたら、今日から1週間の夏休み。しょうがなく足を伸ばしてなじみの総合診療所に行ったら、小児科の受付で「午後は予約の患者さんのみです」と取りつく島もなく断られました。目の前で熱出している子供を抱いているのに、2人の女性看護士がそろって「どうしました?」の一言もありません。あれでほんとの医療従事者なんですかね。つい、「冷たいなあ」と言葉に出してしまいました。

 診療所を出て、船橋駅近くのショッピングモール内の医療施設の小児科まで遠出することに。「3時から予防接種の予定が入ってますが、3時半頃なら大丈夫です」と電話で聞いたが、その通りの時間に診てもらうことができました。小児科医(女医さん)の診察もていねいで、よく説明してくれます。「熱以外の症状はないので、ヘルパンギーナでも手足口病でもありません。ものすごく夏風邪が流行っています。しばらく様子を見てください」ということでした。「別に病院に行かなくても大丈夫だとは思ったんですが」と言うと、「そんなことはありません。特に小児の場合、どんな病気がかくれているかわかりません」ということを言われた。その通りだろう。

「ヘルパンギーナも手足口病も風邪の一種ですから、抗生剤は効きません。時間が経つのを待つしかありません」ということで、薬は念のための解熱剤のみ。風邪もインフルエンザも細菌ではなくウイルス感染だから、抗生剤は関係ないのです。つい先日、恐ろしい耐性菌CREについてのニュースがありましたが、抗生剤は安易に使わないに越したことはありません。

 一日経ったらレンの熱は引いた。熱が出る前日の猛暑日のせいで体温調節が狂ったのかもしれませんな。

 
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【73】肺機能の低下で考えたこと [保育園送迎記]

 今日はまた暑さがぶり返しているが、ここ数日気温がだいぶ下がっていたせいか呼吸がずいぶん楽になって、暑い今日も以前よりはだいぶましになった。雨が降っても楽に感じられることもあるが、気圧も関係しているのかもしれない。呼吸をするなど、健康な人ならだれも意識しないだろう。私だって、若い頃から走る、泳ぐ、山に登る等々、有酸素運動はずいぶんとやってきた。これらの活動にはまずは肺と心臓の十分な働きが必須であるが、だれもこういうことをことさら意識はしないだろう。

 でも、肺や心臓の働きが損なわれれば、だれでもなくしたものを強く意識することになる。今まで難なくこなしていたことができなくなる。長い時間をかけての老化現象ではなく、病気やケガによってその能力が断ち切られる。もう元に戻って能力を回復することができない。これはとてもつらいことである。ああ、もう私はああいうことができなくなった、と。

 ところが、である。デフリンピック、パラリンピックなどで活躍するアスリートたちを見れば、そうとばかりもいえない。たとえ手足の機能がなくなっても、視力や聴力が失われても、彼らは勝利や記録を目指して挑戦を続ける。登山家の田部井淳子さんは末期がんの身でありながら、「それがどうした」とばかりにそれこそ死ぬまで山に登り続けた。余命はあと3ヶ月ですといわれた田部井さんは「あら、そう」と言い放ってまた山へ出かけたそうである。

 雑誌『図書』に作家の高橋三千綱さんが自分の闘病生活を書いている。重度の糖尿病、同じく重い肝硬変、さらに食道がんと、致死性の病気に重ねておかされながら、酒は飲むわ、入院中のベッドで深夜まで執筆を繰り返したり、長距離バスに乗って関西までゴルフをしに行ったり、と破天荒である。多分に無頼派作家の無軌道ぶりのようであるが、書かれた文章はわかりやすくビビッドである。役に立つ医学情報も盛り込んである。感心できる振る舞いではないところもあるが、人間、ここまで苦境に陥っても、これだけの仕事ができるというのはたいしたプロ根性である。

 こういった人たちの行動を見ていくと、努力、克己、といったこともあろうが、あんまり常識や周囲の意見にとらわれないことも決して間違ってはいないということである。医者と対話を繰り返しても、「これが正解だ」ということが整理されて見つかるわけではない、ということが自分の経験からもよくわかる。

 さてさて、夏休みでヒトシはずっとわが家に連泊して朝は一緒にラジオ体操に行き、サマースクールだ水泳教室だ、と言っては小学校に出かけている。先週1週間はレンは夏風邪で休みっぱなし。おまけにタックンは手足口病に罹って、ダウン。やっと今日から2人そろって保育園に行った。おかげでしばらくは孫の面倒見が続く。

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【72】耳に音がこもるーー耳管開放症だって [保育園送迎記]

 からだのだるさは昨年10月の手術以降ずっと続いており、座った状態から立ち上がるのさえ難儀である。ただ、立ち上がると同時に立ちくらみがするようなことはなくなってきた。風呂で湯槽につかった状態から立ち上がるのもなかなかむずかしかったが、これも多少はましになってきた。それと、耳に音がこもることも相変わらずだが、こちらも少しずつながら改善しているようである。

 耳の中に音がこもって、自分の声や呼吸音が響くのは健康な状態でもままあることであるが、私の場合、これがしょっちゅうなのである。おまけに耳鳴りもほぼ四六時中である。とくに夜、床についてからは「キ〜〜ン」とジェット戦闘機並みである。肺の腫瘍の場合、とくに骨と脳への転移が心配されるので、これはひょっとしたら脳転移じゃないかと本気で心配していた。

 6月にその骨(RI)と脳(MRI)への転移を調べたが、幸いなことに転移は今のところなさそうである。息苦しさは相変わらずであるが、こちらもいくらかはましになっているようにも思えるが、肺には気になる突起上の影があるらしく主治医は首を傾げている。最近はなんでもあけすけに患者に説明するので、聞きようによっては「ドキッ」とすることをいう。「9月にまた造影CTを撮りましょう。それで専門医(放射線診断医)に診てもらって、気になるようだったらまた生検しましょう」などとさらっと言うのである。(ちなみに、だが、この造影CTとRI、MRIを撮ると3割負担でも3万円はかかる。ときどき、医者はそういう費用のことは考えて指示してるのかなと、ちらっ、とだが思うことがある。もちろん私なぞまだめぐまれているほうであるが。)

 でももうこちらもだいぶ覚悟ができてきた。いろいろ素人考えをしてもなるようにしかならないのである。診察は3ヶ月に一度でいいと言うからにはそう切迫しているのではなかろう。ただ、耳に音がこもるのはなんとかならぬものかとネットで調べたら、「耳管開放症」という言葉が見つかった。病気やダイエットなどで急に体重が落ちた人などに出るそうで、耳の奥と鼻とをつなぐ耳管が開きっぱなしになると、自分の声が外気を通さずに直接中耳に入り、こういう症状が出るらしい。筋肉や脂肪が落ちることでこういうことが起きるそうだ。対処療法として腰を前に折って頭を下げると、血流が下がってうっ血状態になるので一時的にせよ耳管が塞がり症状がおさまる。やってみるとなるほどそうなった。だが、やはり抜本的には体重を戻すしかない。

 先週末、猫額畑を見に行くと雑草だらけになっていたが、ナスもゴーヤも稔りがあり、ひまわりも大輪の花を咲かせていた。これはうれしい。

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【71】豪雨被害と父の様子 [保育園送迎記]

 私がその場にいたわけではないが、私の姉や姪、友人たちが異口同音にその雨のすごさを電話口で語っていた。「バケツをひっくり返したような」「滝のような」「今まで経験したことのない」といろんな言葉で形容される九州北部の豪雨である。雨がひどくなったのが7月5日の午後から夜にかけてである。たまたまであるが、姉、姪、友人が同じ頃にそれぞれのクルマで帰宅している最中だった。姪と友人は、あっという間に冠水し、水かさを増した道路にクルマを放置して歩いて帰るしかなかった。2人よりは早い時刻だったので、姉だけはクルマを運転してなんとかのろのろと帰り着いた。「前はなーんも見えんとばい。おそろしかった」そうである。

 私の故郷は今回の豪雨ですっかり有名になった福岡県の朝倉市である。平成の大合併で、私の生まれた朝倉郡朝倉町、同杷木町、甘木市が合併して朝倉市となった。今回、朝倉市、日田市と並んで被害地域として大きく報道されている東峰村はもと朝倉郡小石原村と同宝珠山村である。実は、甘木市も元々は朝倉郡なのであるが、この地域の商業の中心地で人口も一番多い地域であり、いち早く独立し市制を敷いたのである。平成の合併のときは古代以来の伝統のある朝倉の地名を踏襲したというわけである。私の出身高校は旧甘木市の中心地にあるが、当時も今も朝倉高校という。

 今回もっとも被害が大きいのがこの元甘木市と元杷木町、そして日田市の山間部であるが、元朝倉町にも人的被害も含めて甚大な被害が出ている。私の出身中学校である比良松中学校も被害が大きく報道された。元朝倉町は筑後川中流域に開けた扇状地で、稲作や柿、そして万能ネギなどの商品作物生産がさかんな農作地帯だが、今回の被害の中心地域はその筑後平野の背後にある山間部である。過疎化が進み、ダム建設などもあり市街地へ移り住む人も多く、空き家も目立つ。そこへ豪雨が襲ったのである。「16億円かけた道路が3時間の雨で流された」と地元出身の友人は言う。

 実はその豪雨の5日前に朝倉市に帰省し3日前に自宅に戻ってきていた。高齢の父が心臓が弱り、入院したというので、とりあえず様子見に帰ったのである。94歳になる父は足腰が弱っていはいたが、みんながやめさせようとしていたクルマの運転もしていた。ところがここへきて2度ほど事故を起こし、大事には至らなかったのが幸いだったが、いよいよ免許を返納したところだった。医者の診断によると「心不全」である。若くて体力があれば手術して処置することもできるが、さすがにそれはやめましょうということになり、当面は入院しながらリハビリを続けることになった。

 豪雨とこの暑さである。当面は入院を続けるしかないのだが、立ち上がり、歩くことができなくなった。ときに認知症の症状も現れる。しばらくは食欲もなくなっていたが、ここ数日は回復し、ベッドの上で身体を起こすことまではできるようになった。ここからどういう経過をたどることになるのか、これからしばらくは私自身の病状もあり、なんというか、勝負所にさしかかってきたようである。

 

【70】連休と3人の子ツバメ [保育園送迎記]

 乙鳥はまぶしき鳥となりにけり 草田男
 一番に乙鳥のくぐるちのわ哉  一茶

 ツバメが飛び交う季節になった。わが家の3人の子ツバメたちも連休に入って、時間をもてあまし気味で、昨日などは、流行りのベイブレードをめぐって2人の兄弟はケンカを繰り返すので、とうとう全部取り上げて手の届かないところへしまい込んでしまった。もう泣こうがわめこうが、与えないことにした。ヒトシはショックで夕食も食べずに外へ出て行ってしまった。

 ああいう子ども相手のおもちゃのマーケティングというのはなるほど周到で、いろんなしかけで子どもたちの欲望を刺激する。テレビのアニメなどもまったくマーケティングそのもので、売らんかな一色である。もっと幼い頃に電車やミニカーなどをほしがっていた頃のほうが精神衛生的にはよほどまともである。

 ヒトシは私の家にくると真っ先にパソコン(iMac)の前に座り、ユーチューブのなんだかわけのわからない(気色悪い)怪獣の出てくるCGなどを見ている。これもまだ小さい頃は電車や新幹線を見て喜んでいたのであるが、いつのまにかブラウザを開き、ユーチューブを見ることを覚えてから次々に案内される刺激的なCGをクリックするようになった。

 ヒトシ用のアカウントをつくり、制限時間を1時間に設定しているが、1時間なぞはあっという間なので、隣に並んでいるウインドウズ用のノートパソコンを開こうとするが、こちらもしっかりパスワードをかけているので、開くことはできない。わたしがパソコンを立ち上げているところを見て、パスワードを覚えようとしているが、まだアルファベットを憶えるほどの能力はない。

 連休で保育園送迎もお休みなので、陽気に誘われて散歩する。ツツジ、コデマリ、オオデマリ、ヤマブキなどが花盛りだ。やはり息切れがして苦しい。鼓動も速くなる。いつになったらラクに歩けるようになるのか。それとももう無理なのか。考えても詮無いことだが、つい悲観的になってしまう。



 

 

 
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