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【84】新緑が風にそよぐ季節の中で [保育園送迎記]

 春爛漫も過ぎて、新緑の季節に入りつつある。ケヤキの新緑がわけてもさわやかである。毎朝ラジオ体操で通う団地内の公園にはオオシマザクラやヤマザクラが満開で見ほれるほどだったが、いまはケヤキやクスノキの緑が風にそよいでいる。ツバメも飛び交うようになった。河瀬直美の映画にはこの風にそよぐ緑の木々がよく出てくる。ああこの人も好きなんだといつも思う。先日も録画した「あん」を観ていたら、ストーリーに関係なく、しかし、観るもののこころにしみいるような風にそよぐ緑の木々がよく出てきた。「萌の朱雀」以来、よく観るシーンだ。緑深い森がスローで大きく揺れる。観ている人間の心もざわざわと揺れる。ちなみに樹木希林演じる主人公は、桜の木や空にかかる月、そして煮え立つ小豆とも会話する。この女優さんはもう女優さん以上の存在だな。

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 さて、新学期も始まって、孫の長男坊のヒトシは3年生である。新学期の始まりは帰ってくるのが早い。午前中に帰ってくるのが3日ほど続いたので、私が1人のときは、ヒトシの好きなオムライスやチャーハンを作って2人で食べる。作ると言っても、レトルトご飯をチンしてあとはクックパッドで調べた一番簡単そうなレシピをなぞるだけである。でもこれでもけっこううまいのである。偏食の激しい(野菜が嫌い、肉と魚も一切れしか食べない)ヒトシでも、人参やらピーマンを刻んで混ぜ込んでおけばよく食べる。(レトルトの加工食品は山に行くときよく使ってきたのでなじみであるが、けっこううまいのね、これが。)

 と穏やかな日々のようではあるが、先月末から心穏やかでない数週間を過ごすこととなった。今年最初の3月の定期のレントゲン検査で、怪しい白い影が左肺一面に出てしまった。知らないうちに軽い肺炎にかかったあとかもしれないし、もっとこわいことが起こっているのかもしれない。血液検査の数値は「きれいですよ」と言われたが。翌月4月に、またCTを撮ることになった。心配ではあるが、いつもの「心配してもしようがない」とう気持ちがその気持ちを消そうとする。たとえ再発でも、もう手術や抗がん剤はこりごりだ。

 そのCT撮影がこの6日で、結果が12日の診察で示された。造影剤入りのCTというのは翌日がとてもきつい。だるさや立ちくらみがひどくて、歯を磨く短い時間も立っているのが耐えられないほどだ。「そういう症状が出たらすぐにご連絡ください」などといつももらう注意書きに書いてあるが、以前、あまりのきつさと息苦しさで真夜中に電話したら、「がまんできないほどでしたら、ご自分でおいでください」などと言う。行けば行ったで、緊急外来で死ぬほど待たされる。待たされた末にレントゲンを撮りましょうなどと、新米の若造医者が言う。ばかばかしいったらありゃしない。

 脱線した。12日の診察では最悪の結果も覚悟したのだが、「再発ではないようです。手術と合併症の治りが思わしくなく、左肺が崩れかけているようです。こういうことは起こりえます。そのうち右片肺だけになるかもしれません。ただかえってそのほうが今より楽になるかもしれません」と言われた。手術のときの難しい切除の結果だと思う。そのため胸膜炎と思われる合併症も起きた。術後の抗がん剤も白血球数が戻らず、あわや死に至るような重大な副作用を起こすところだった。

 これは手術のとき「全摘だけはいやだ」と外科医に頼んだことから発しているのだと思う。今回の主治医の説明も私の日々の実感からすればよくわかる。むしろそれを聞いて安心したくらいだ。あと何年生きられるかわからないが、とりあえずは心穏やかな日々が戻ってきたのだ。ただ、左肺がおシャカになったとしても、右肺の上葉はすでにない。これでどれくらいもつのだろうか、などと考えてもしょうがないから、日々を噛み締めながら送るほかはない。

 今日もタックンとレンは朝からにぎやかだ。保育園にも楽しそうに通っている。レンが小学校に上がるまであと4年か。はて、それまで私はこうやって生きているのだろうか。そこまででいいからと、いつも願っている。(吉高の大桜)

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【83】春先の花の盛り [保育園送迎記]

 毎朝、タカシが通勤途上にタックンとレンを連れてくる。2人は20〜30分くらいわが家にいて、Eテレで「はなかっぱ」なんぞを見ながら、時間を過ごす。それから私が保育園に送って行く。クルマに2人を乗せて保育園に向かうと、「アンパンマン」の歌などを2人で合唱してくれる。あの高尚な歌だ。しばらく歌ってたかと思うと急に静かになる。2人とも眠り込んでいるのだ。この間15分くらいのものである。保育園についてから起こすのが一苦労。タックンは力を入れて何度もヒザをたたかなければ起きない。レンはだっこして保育園に入っても、靴箱の前の板張りで寝ている。(↓よく手入れされたツバキ)

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 しかたなくレンを抱きかかえて、控え室(着替え服用のロッカーとかあるところ)へ連れて行く。降ろしてもそのまま崩れて、廊下だろうとどこだろうと眠ってしまうから、なんとも始末に悪い。しばらく寝かせておいて、「おてて洗いなさい」と何度も呼びかけると、むくっと起きて、洗面台に手洗いに行く。(保育園に着いたら手洗いをすることになっているのだ。)手洗いが終わると、用意してあげたハンドタオルを引っ掴み、手を拭いてから、そのタオルをぶら下げて、ほとんど走るようにして保育室の中へと駆け込む。いつもやさしい保母さんに抱きついていく。(↓もう花開いたハクモクレン)

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 先日は朝から雨だったが、お気に入りの長靴を履き、これもお気に入りの傘とバッグ(ミッキーマウスのDVDを入れている)を携えて、すっかりお嬢様のお出かけの気分である。さしずめ私は送り迎えのじいやになってしまった。夕方迎えに行くと、夢中になって遊んでいるから、しばらく入り口のところで眺めていると、保母さんがレンに向かって「ほら」といって、私の方を指差す。レンは振り返って私がいるのを認めると、ぱっと満面笑顔になって走りよってくる。抱き上げてやると、保母さんたちにバイバイする。(↓近くの公園の河津桜)

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 思えば、ヒトシもタックンもこういうかわいくてしょうがないような時期があった。しかし成長につれてこういう邪気のない振る舞いは次第になくなっていった。ヒトシなどは一時期、迎えに行くと、いやがって物陰に隠れるようになった。まだ友達が遊んでいるのに自分だけ帰るのがいやだったのだろう。これも成長のあかしかもしれない。「じゃあ、おじいちゃんは帰るからね。またあとで迎えにくるから、それまで遊んでなさい」と突き放すと、泣き出したりするから、かわいいものではあるが。(↓梅の花も見納め)

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 そのヒトシも小学2年生である。3人のうちで一番付き合いが長い(一番先に生まれたから当たり前であるが)からか、しょっちゅう1人で遊びにくる。1人だと、パソコンもテレビも弟や妹と争うことなく気ままに自分の好きなように扱えるからであろうが。昨日は、畑に連れて行って、肥料まきや畝作りの手伝いをさせた。手伝いといっても勝手に遊んでいるだけだが。「今日はよく働いたから、銭湯に行くか」と2人でいつものスーパー銭湯へ行く。だんだん春めいてきた。梅もアンズも花盛りである。(↓近くの道脇のアンズ/↓↓私が畑で育てたスイセン)

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【82】小平選手と高木選手を見分けられるようになった [保育園送迎記]

 少しだけ暖かくなったと思ったら、またしても寒さが戻ってきた。北国では冬の嵐が吹き荒れている。散歩をしても寒風が肌を刺す日は、家にいるしかない。冬季オリンピックもたけなわで、男子フィギュアでは日本勢が金銀とめでたい結果となった。昔はそんなことはなかったが、こういうメダルが有望種目などを見ようとすると、緊張してドキドキするようになった。何も私が応援したからといってどうなるものでもないが、なぜだろう。サッカーの国際試合の公式戦などでも、1点差で勝っている終盤などはもうドキドキのしっぱなしだ。
 
 メダル候補のスピードスケートの女子有望選手でもそうだが、選手本人は落ち着き払って堂々としている。本番でも自分の実力どおりの結果を出している。その上を行く選手がいたとしても、それはやはりそれだけの力をそなえた実力の持ち主のようで、ことさら日本選手が本番に弱いということはないようだ。(上には上がいるのだ。)自己記録にも届かないようなふがいない結果を出す選手など見なくなった。スポーツの世界もグローバリズムで、ワールドカップなどふだんから世界中を転戦しているし、オリンピックでも寄せられる期待値(と大いなる経済的価値)が違ってくるだけで、競う相手はいつも同じなのだ。

 カーリングが見ていて面白い。あれには審判がいるのだろうが、表というかテレビ画面には出てこない。まだハウスのなかを通過しているのに、ハウスから出るような勢いだと敵方のストーンであっても平気で外に足で放り出す。また敵方のストーンであってもせっせとスイープして中心から遠ざけたり、ハウスから出そうとする。敵味方入り乱れてストーンの隙間を歩き回るので、足がストーンに当たって動くのではないかとも思うが、みんな平気である。アメリカのハミルトン選手がマリオそっくりだと人気だが、日本のスキップ両角と仲良しなのだそうだ。こういうところもなんだかおもしろい。
http://japanese.engadget.com/2018/02/09/twitter/

孫の次男タックンがフィギュアスケートの宇野選手に似ていると保育園で評判なのだそうだ。そういえば似ている。最近は「ショウマくん』と呼んでいる。呼ばれるとまんざらでもないらしい。照れたような顔をしている。宇野選手もクールだ。「銀メダルを誰にかけてあげたいですか」とお定まりの質問を受けると「かけたい人は誰でもいいんじゃないですか」と答える。こういうくだらない質問をするほうが悪いのだ。こういう人情っぽい話がみんな好きだとまだ思っている聞き手が進歩してないのだ。スノートボードの平野選手もとびきりクールだ。いいねえ。

 さてさて、テレビばっかり見てるわけにもいかない。仕事もせねば、と思っていたら、小平選手の金メダルだ。最近やっと小平選手と高木選手の見分けがついてきた。よく見れば違うのだが、最初は区別がつかなかった。2人とも実にチャーミングな女性だ。あんたたちはエライ!



 

 
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【81】春へのあこがれ [保育園送迎記]

 寒い日が続く。北陸地方のドカ雪はわれわれ関東地方に住む人間の想像を絶するもののようだ。一日も早い春の訪れを今年ほど願う年はない。病を持つ身にはとりわけ切実に感じられる。春夏秋冬と四季の巡りは豊かな自然と感情の心地よい振幅をもたらしてくれるが、近年は夏の暑さと冬の寒さが極端に振れるようになっているのではないか。四季の移ろいを味わうゆとりも次第に削られていってしまうのではないかとさえ思う。

 週に一回は都内に出て、仕掛かりの企画の著者との打ち合わせなどをやるのだが、これが疲れる。そして、せっかく企画段階から手がけてきた原稿が上がってきても、これを商品化するための労力に自信がなくなってきた。一人親方なので、誰にも助力を頼めない。今はメールを利用して原稿や図版などのやり取りもできるし、製作にかかってからも、ゲラをPDFデータでやりとりすれば、居ながらにして仕事を進行させることができる。

 できるのだが、著者、DTPオペレーター、版元編集者などとのやり取りはけっこう体力と神経をを使う。私は35年も版元で仕事をしていたからわかるのだが、見本日、発行日を守って、書店に新刊本を届けるのは編集者のもっとも大切なつとめだ。だが、どんなに余裕を持った日程でも、最後はいつもギリギリの仕事になる。これが体力と気力を消耗させる。病気以前だったらなんとかこなせいたものが、次第にできなくなりつつある。

 年末からかかっていた請負仕事が終わってから、時間に追われないですむ日々が戻ってきた。買いためていた本を読むばかりの日が続く。書評などで気になっていた小説『光の犬』(松家仁之著)を読んだ。ストーリーで読ませるものでもないし、ちまちまとした私小説とも違う。作者の体験が元になっているのであろうが、それはあくまでも作品の原材料であって、書き手の感情や感覚がそのまま文章と化して、読者の感情や感覚とぴったり重なって強く引き付ける。

 主人公である姉弟の姉が30代の若さで、大腿部肉腫が肺、脳と転移したがんを患い、悲しい最期を迎える。臨終の床で、プロテスタントの牧師にカトリックの秘跡である「病者の塗油」(「終油の秘蹟」)を施してもらう場面がある。この姉と牧師は今は東京と北海道に別れて住んでいるが、幼なじみである。

「いまわたしを救ってくれるものは、ことばではない気がします。……いまはただ、両手を組んで祈るとか、誰かがわたしの肩に触れながら祈ってくれるとか、そういうことばかりが浮かびます。……これまでほんとにありがとう。いつか予想もできないところで再会できたら、またお話ししたいです。さようなら」

 考えの違う人や他国を責め立てる乱暴な主張の本ばかりが目立つなかで、きちんとした文章を書く人がやっぱりちゃんといるんだね。本屋さんに行って、棚を見て回れば、フィクション、ノンフィクションを問わず、テーマ、文章、装丁、デザインなども質が高い本がいくらも見つかる。書き手にも作り手にもやはり確かな才能はちゃんといることがわかる。そういう仕事を今からでも手がけられることができたら幸せだな。

 わが家の孫3兄妹はインフルエンザにも学級閉鎖にも負けずに小学校や保育園に通っている。明日あたりから暖かい日もめぐってくるようだ。行きつ戻りつして春がやってくるのだろう。暑さも寒さもそれが過ぎてしまえば、なぜかしら惜しむような気になるのが不思議だ。

 


 
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【80】雪の日のベトナム行きと保育園送り [保育園送迎記]

 今年の冬はいつもより寒さがきびしいようだ。前に何度も書いたが、私は病気のせいでとくに寒さがこたえるのだろうと思っていたが、やはり寒いのだそうだ。病気をする以前だったら、寒くても、よく山に出かけたものだ。といっても奥多摩とか中央線沿線だから、本格的な冬山というわけではない。積もっても20、30センチくらい。冬晴れの日を選んでいく。関東の冬晴れの、空気が澄んで、空が真っ青で、無風の日がいい。こんな日は一年中でも一番の日だ。

 そんなことを考えていたらほんとに雪が降ってきた。昨日の午後から降り出して、夜にはすでに10センチほども積もっていた。昨日は、タカシがベトナム出張だというので、成田往きの特急が停まる新鎌ケ谷の駅までクルマで送って行った。雪は止みそうもないので、そのまま保育園に2人のチビたちを迎えに行くことにした。まだ3時過ぎだった。

 送りながらタカシとベトナムの話をしたら、歴史の流れがつかめないらしい。「サイゴンがホーチミン市に変わったの? フランスの植民地のあとアメリカが入ってきてベトナム戦争が始まったの?」
仏領インドシナ、日本軍進駐、ホーチミンによる共産革命、米ソ冷戦、ベトナム戦争、カンボジア紛争、中越戦争……こういった歴史を一通り話したが、果たして頭に入ったか? 以前に開高健『輝ける闇』を勧めたら買って読んでいたが。

 タカシの会社はメーカー系列の商社の子会社だが、中国からベトナムへと外注先をシフトしている最中らしい。その国の歴史を知るというのは必要なことだが、目の前の交渉相手はかの国の歴史に似合わず、面倒なことを言ってこちらを戸惑わせる。そのギャップがどうにも腑に落ちないといった様子だ。そりゃいかに激烈な戦争を勝ち抜いた国の国民とはいえ、その人だって戦争は父母の時代で終わったものだろうから、いわば戦後を生きているわけだ。生きるためには面倒なことも言わねばならぬのだろう。素直で正直、そして豊かに育ち、人に迷惑をかけるな、人をだますな、と教えられてきた日本人にとっては面食らうこともあるかもしれないね。

 さて、そのタカシはまだ成田空港にいるらしい。一夜明けても滑走路が閉鎖されて飛行機が飛べないのだそうだ。さてどうなることか。半日遅れで出発できるのかそれともこのまま帰ってこざるを得ないのか。3人の孫たちは小学校と保育園に元気で出かけた。雪の朝もいいものだ。タックンは今日は雪遊びをやるのだとうれしそうだ。
 
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【79】通い慣れた保育園と病院と [保育園送迎記]

 寒い日が続きます。身体が弱ったせいか、例年より寒さが厳しい気がしますが気のせいですかね。さて、わが孫たちは寒さにもめげずに毎日保育園に通っています。さすがに朝出かけるときはギャーギャーと機嫌が悪く騒ぐときもありますが、保育園に着いてしまえば、元気よく遊んでいます。
 
 さて、一昨日は私の3ヶ月に一度の診察日。孫2人をクルマで送ってから、病院へと向かいます。先々週からMRI(脳)、RI(骨)、CT(肺)と検査し、昨日は血液検査。これだけの検査を経ての診察です。結果を聞くのは何遍やっても不安な気持ちになるものです。このところ身体の調子はだいぶ上向きなのですが、検査の結果はそういうこととは無関係であるのは昨年春の検査結果からもわかります。からだの調子よくてもガンはできるのです。はい。

 検査の結果を受けて、主治医との会話。

医「一通り見ましたが、結論的に言うと異常はありません」
私「そうですか。それはそれは……(涙)←うそ」
医「見た目、異常はありませんが、どこかに隠れているかもしれません」
私「またそんなこわいこと言って」

 この医者はまだ若い。30代だと思う。だからこんな気安い言葉遣いをする。

医「どうですか、最近の調子は?」
私「それがかなり上向いているみたいで、いいんですよ。もちろん元(手術前)に戻って走り回れるほどではありませんが」
医「抗がん剤をやめてほぼ1年ですが」
私「調子がいいのは一時的かもしれませんが、やはりやめてよかったですね。その肺のCTの画像から良くなっているように見えますか」

 CTの肺の画像がモニターに映っている。知らない人が見たら、手術して半分ほど欠けた無惨な肺の画像を見るとギョッとするかもしれない。いわゆる手術痕に水がたまっている状態で、このおかげで息苦しさや立ちくらみなどが絶えなかったが、ここへきてだいぶ改善された。

医「いや、良くなってはいません。これはもう変わらんでしょう。ただ、ここへきて身体が慣れてきたのかもしれません。残っている機能が失った機能をカバーしだしたんですよ」
私「ラジオ体操を毎朝やってるんですが、両足跳びができるようになりましたよ」
医「ほう。それはいいことです。鍛えることを続けてください」
私「ただ、体重がなかなか戻りません」
医「そのうち筋肉が少しずつ戻ってきますよ。まだ64ですからね。脂肪で太ってはいけません」
私「ただ、転移や再発のリスクは依然としてあると?」
医「そうです!(いやにキッパリ)。5年もてばなんとか安心できますが」
私「そうなんです。80なら希望などいりませんが、まだあと10年くらいはとは思ってるんですが」
医「これまでの生活を続けてください。また3ヶ月後に来てください」

 このまま改善されていくのか、それともまた落とし穴が待っているのか。それはわからない。ただ、この病気とつきあいだしてもう6年以上になる。何が起こってもそう気落ちすることもなくなってきたように思う。なるようにしかならない。あるものをないとはいえない。

 さて、また今日も2人を迎えに行かなくてはならない。あと何年かな。私の身体が持つか、孫たちの卒園の方が早いか。だれにもわからない。



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【78】房守さんと九州北部豪雨ボランティア [保育園送迎記]

 わが生家の菩提寺は浄土真宗西本願寺派で万徳寺という。お寺さんとして、昔から地元の生活にとけ込んでいる。私も姉兄もここが経営する幼稚園に通っている。まだテレビも普及してなかった頃はここで開かれる講話などにも年寄りに連れられて通ったものだ。

 住職は私が小さいときからすでに3代目になろうとしている。いまの住職さんの奥様を房守(ぼうもり)さんという。この房守さんが事務的な処理など一切を取り仕切っている。今回の私の父の葬儀にあたってもなにかと相談に乗ってくれた。父が亡くなった翌朝6時過ぎに訪ねて、その日の朝の枕経(まくらぎょう)から通夜、翌日の葬式まで打合せ(お願い)をした。「そんな朝早く言って失礼ではないか」と一緒に行く義兄に言うと、「いや、朝のお勤めもあるから大丈夫だ」という。確かにきちんと対応してくれた。そういうものらしい。それと、こういうときの打ち合わせは2人で行くものだという。これもそういうものらしい、としか言えない。知らなかった。

 通夜、葬式とすんで、翌日、位牌と遺骨を持ってお礼をかねてお寺さんでお経を上げてもらう。そのあとかんたんな食事とお茶をいただく。その間の適当な頃合いをみてでお布施をわたす。このお布施の多寡が私などではわからない。お寺さんに直接聞くわけにもいかぬ。たとえ聞いても「それはおこころざしですから」とか「お気持ちですから」としかか言わないらしい。それはそうだろうし、実際、そう考えているようだ。

 この房守さんの話で、とても考えさせられたことがあった。計算をすると、父の四十九日は来年1月5日になる。それを今年中にお願いできないかという相談をした。それで年末にやることになったのだが、「あくまでもお父様の四十九日は1月5日です。それを生きている者の勝手で早めるということを忘れないでください」「身近な人の死はきちんと悼まなければなりません。奥様の葬儀にも出れなかったという芸能人がいましたが、そんなことを美談として受け取ってはなりません」「肉親など身近な人の死は十分に悼まなければなりません。そうでないと生きている人間の生までおろそかになってしまうのです」

 いや、こんな説教調で言われたわけではない。ごくふつうのていねいな話し方だ(『〜じゃないでしょうかね』)。しかし、私にはがつんがつんと響いてきた。母の死のときにも兄の死のときにも、そして親しかったあの人のときも、きちんとその死に向き合って自分の心の底にまで降りていって悼むことをしたか。そんなことはしない。悲しみたくない、落ち込みたくない、と日常の延長として流しただけだ。

 このお寺の脇を流れる桂川が7月の豪雨のとき氾濫した。濁流が橋を流し、橋桁には流木が重なり、泥水があたり一面を覆った。あたりの水田には3メートルもの泥が堆積した。そういう被害に遭った人間が私の知り合いにもいる。知り合い以外の人の話もいくらでも聞いた。しかし、水害のあと、多くの人がボランティアにやってきた。なかには自分でトラックにユンボを乗せてやってきた人もいるという。房守さんは、暑いので冷たいお茶でも出そうとしたが、「そんなことはしないでください」ときつく言われたという。「ああいう人がいっぱいいらっしゃるんですよ。しかも全国から」


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【77】「今朝の秋」を思い出した [保育園送迎記]

 11月18日に父が亡くなった。6月9日に入院して、5ヶ月とちょっと。入院時に心機能がすでにかなり低下していたこと、94歳という高齢を考えれば、ほとんど老衰と言っていいだろう。直接の死因は肺炎である。そのもととなった病気は重症左心機能低下症とクロストリジウムディフィシル腸炎というものである。このむずかしい名前の腸炎は調べてみると、こういう状況の高齢者にはめずらしい疾患ではないようだ。要するに抗生剤を使うことで腸内環境が悪化して悪玉の腸内細菌が跋扈して炎症を起こすのである。メカニズムは幼児などが抗生剤を使ことで下痢になるのと同じである。院内感染のもとにもなる。

「そろそろお身内の方を呼んでください」と看護士から言われた姉から電話があったのが17日の夜だった。私が父のベッド脇に着いたのが18日の18時過ぎだった。すでに意識はなく下顎呼吸になっていたが、それから4時間後に息を引き取った。「眠るように」というが、少しも苦しまないで、フェイドアウトしていった。私の最期もああありたいと思ったのだった。

 実は、極めて不謹慎というか、言いようがむずかしいが、私の心配事のひとつは父より早く私が死ぬことだった。なにしろ私はこの5年間に肺がんを2回発症し、手術を2回受けている。死を意識するのは当然だろう。幸い今現在は日常生活に支障がない程度には症状は改善しているが、いつまた再発や転移が襲ってくるかわからない。こういう状況だと、私が父より先に死ぬことは可能性としては十分にあったのである。

 しかも、母は25年前に私と同じ肺がんで死に、長男である兄は3年前に脳梗塞+肺炎で亡くなっている。この上私までも父より先にということになれば、父にとってこれ以上の悲しみはないだろう。だから私にがんが見つかっても、たいしたことはない、心配はいらない、と言い続けてきた。離れて住んでいるとはいえ、入院し、手術を受けるのだから、さすがにがんそのものを隠し通すことはできなかったが。だから父が亡くなって、この点(逆縁)についてだけは心が軽くなったのである。そして94歳という長寿であればこういう感慨を抱いても許されるのではないかと思うのである。

 山田太一脚本のドラマ「今朝の秋」というのがあった。笠智衆、杉村春子が親夫婦、杉浦直樹、倍賞美津子が息子夫婦という名優揃いの実に心にしみる名作だ。親子とも夫婦の亀裂があるなかで、息子のがんが末期となり、最期を迎えるなかで、それぞれの夫婦に和解が進んでいくという筋だったと思う。ここでも親より子が先に死ぬ。父親が末期がんの息子をそそのかして病院を抜け出す場面がある。息子の最期を自分が住んでいる蓼科の別荘で迎えさせようとするのだ。これが愉快だ。「自分だけが死ぬようなえらそうなことを言うな」(正確には違う台詞かも知れない)と、死に臨もうとする息子に父が言う。笠智衆!

 さて、私が留守している間、ちびっこたちの保育園送迎は息子夫婦が代わってやっていた。朝はタカシが、夕方はレミママが分担してやっていたそうな。ただしたった2日間であった。

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【76】雨続きの秋のひと日の晴れ間 [保育園送迎記]

 まったく雨ばかりの秋です。今日、明日くらいは晴れですが、週末からはまたしても台風がやってくるようで。となると、保育園の送迎も頭が痛い。自転車は使えず、クルマは駐車場が狭くてどうにも融通かきかないので、いつもハラハラする。
 
 最近、この団地から最寄りの東武野田線の馬込沢駅までコミュニティバスが運行するようになっているが、小さい子供を2人乗せて、降ろして、園まで歩かせるのもひと苦労である。バスの時刻も事前に把握しておかないと、30分以上も間隔が空いたりする。子供は雨で長靴を履いて傘をさして歩くのが楽しいらしく、濡れるのもかまわずふらふらと歩く。雨の日は疲れる。

 そんな日が続くと今日のような秋晴れの日はありがたくてお天道様に感謝感謝である。近くにある市営の霊園の向こう側にある谷間(谷津田)まで散歩に出た。ここは好きなところで、元気な頃はしょっちゅう足を伸ばしていたが、去年、手術してからは1年ぶりである。ちょうど今頃は十月桜が咲いている頃だと思ったが、すでに散って葉桜になっている。ただ、1本だけまだ咲き残っていた。

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 谷津田は湿地でもあり、小さな池がいくつかある。その回りに十月桜が植えてあるのだが、驚いたことに、池にはいつの間にか多くのカミツキガメが生息するようになっていた。天気がいいので、みんなで甲羅干しをしている。10匹もいるだろうか。私が近づくとバシャバシャと池に戻ったが、一番大きいやつは動きもせずにじっとしている。

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 どうしてこんな人里離れた谷間にカミツキガメが増えたのか。誰かが放しているに違いない。食用にもなるようだから、そのうちおいしいカミツキガメ料理でも考案してくれる人がでないかね。



 
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【75】人間病気で死ぬのではない? [保育園送迎記]

 しばらく秋の涼しさが続いていたが、ここ数日は夏に戻ったような暑さだ。暑いのも寒いのも今のからだにはこたえる。少し涼しい、湿り気もある、やさしい雨なら降っててもいい。そういう天気がからだには最適なようだ。手術以前の体力があれば、今頃は萩の花見に何度も山に出かけているだろう。寒くも暑くもなく、しとしと雨が降っているような、モヤで見通しがきかないくらいの天気がいい。

 先月の下旬は手術以来1年目で、造影剤入りのCTと診察だった。CT画像は念入りに専門家が診たようだが、再発はなさそうである。ただ、手術や合併症の跡が癒えていない。左肺に胸水が溜まっているのだが、水と言うが粘液質のものらしくそれが取れない。これが体力の回復を妨げている。いつまで経っても、息苦しさやだるさが抜けないのはこのせいである。

 私と主治医の会話である。
私「これは徐々にせよ回復するものですか?」
医「う〜ん」
私「回復せずにこのままこの状態が続くと?」
医「う〜ん。そういうこともあるかもしれない」
私「要するに先のことはわからないと?」
医「少しずつ運動したりすることで回復を図れるとは思いますが」
私「これを取る方法はないんですか」
医「はがしとる方法はないことはないが、確実性がない。危険だ」
私「こんな状態だと、術後の抗がん剤治療はやはり無理でしたね」
医「そうですね。やはり合併症の影響が大きいです」 

 術後の抗がん剤治療は1月に始めたが、1クール終えたところで白血球の回復が滞ったので、中止したものである。これを続ければ回復不能なダメージを被ったかもしれない。現にそういうことは起こっている。脊髄の造血機能にダメージを与えるほかにも腎機能がマヒすることもある。これも(字義通り)致命的である。抗がん剤治療を中止したことで、再発リスクが高まったともいえるし、もともと抗がん剤はその効果があやふやなので、治療を続けても再発リスクは変わらないし、逆に副作用のリスクの方が大きいということも言える。

 先日、大学時代の先輩と電話で話した。この人も病気やケガで難儀してきた人である。今も糖尿病と肝臓に故障を抱えている。

私「私の5年生存率は40から60%だそうです。5年後(70歳)も生きてる確率は五分五分です」
先「そんなら、普通の人間と変わらんじゃないか。70なら古来稀れなり」
私「そうですけど……」

「人間、病気やケガで死ぬのではない。寿命で死ぬのだ」という言い方がある。いい考え方で、寿命は短くてもいっこうにかまわないのだが、もう少しラク(元気)に生きられたらいいのになあ、と思う今日このごろである。

 
 

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