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【71】豪雨被害と父の様子 [保育園送迎記]

 私がその場にいたわけではないが、私の姉や姪、友人たちが異口同音にその雨のすごさを電話口で語っていた。「バケツをひっくり返したような」「滝のような」「今まで経験したことのない」といろんな言葉で形容される九州北部の豪雨である。雨がひどくなったのが7月5日の午後から夜にかけてである。たまたまであるが、姉、姪、友人が同じ頃にそれぞれのクルマで帰宅している最中だった。姪と友人は、あっという間に冠水し、水かさを増した道路にクルマを放置して歩いて帰るしかなかった。2人よりは早い時刻だったので、姉だけはクルマを運転してなんとかのろのろと帰り着いた。「前はなーんも見えんとばい。おそろしかった」そうである。

 私の故郷は今回の豪雨ですっかり有名になった福岡県の朝倉市である。平成の大合併で、私の生まれた朝倉郡朝倉町、同杷木町、甘木市が合併して朝倉市となった。今回、朝倉市、日田市と並んで被害地域として大きく報道されている東峰村はもと朝倉郡小石原村と同宝珠山村である。実は、甘木市も元々は朝倉郡なのであるが、この地域の商業の中心地で人口も一番多い地域であり、いち早く独立し市制を敷いたのである。平成の合併のときは古代以来の伝統のある朝倉の地名を踏襲したというわけである。私の出身高校は旧甘木市の中心地にあるが、当時も今も朝倉高校という。

 今回もっとも被害が大きいのがこの元甘木市と元杷木町、そして日田市の山間部であるが、元朝倉町にも人的被害も含めて甚大な被害が出ている。私の出身中学校である比良松中学校も被害が大きく報道された。元朝倉町は筑後川中流域に開けた扇状地で、稲作や柿、そして万能ネギなどの商品作物生産がさかんな農作地帯だが、今回の被害の中心地域はその筑後平野の背後にある山間部である。過疎化が進み、ダム建設などもあり市街地へ移り住む人も多く、空き家も目立つ。そこへ豪雨が襲ったのである。「16億円かけた道路が3時間の雨で流された」と地元出身の友人は言う。

 実はその豪雨の5日前に朝倉市に帰省し3日前に自宅に戻ってきていた。高齢の父が心臓が弱り、入院したというので、とりあえず様子見に帰ったのである。94歳になる父は足腰が弱っていはいたが、みんながやめさせようとしていたクルマの運転もしていた。ところがここへきて2度ほど事故を起こし、大事には至らなかったのが幸いだったが、いよいよ免許を返納したところだった。医者の診断によると「心不全」である。若くて体力があれば手術して処置することもできるが、さすがにそれはやめましょうということになり、当面は入院しながらリハビリを続けることになった。

 豪雨とこの暑さである。当面は入院を続けるしかないのだが、立ち上がり、歩くことができなくなった。ときに認知症の症状も現れる。しばらくは食欲もなくなっていたが、ここ数日は回復し、ベッドの上で身体を起こすことまではできるようになった。ここからどういう経過をたどることになるのか、これからしばらくは私自身の病状もあり、なんというか、勝負所にさしかかってきたようである。

 

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