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【60】兄弟ともに成長する春まっさかり [保育園送迎記]

 ヒトシは11日の入学式を経て、毎日小学校へ通うようになった。からだが小さいせいかランドセルが肩に食い込むらしく、肩が痛いと言って片肩だけで背負っている。近くにあるスイミングスクールへも自分が望んで通うようになった。こちらは隔日にしている。それでなくても疲れてプールから帰ってくると眼が、眼が、トロ〜ン……。

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 なぜだろうか。レミママが「今日はどんなお勉強したの?」と尋ねても答えようとしない。まあ、どういうふうに言ったらいいのか言葉が出てこないのもあるだろうし、めんどくさい、というのもあるだろう。こうやって男の子はだんだん生意気になっていく、先日わが家に来たときに、「今日はどうだった?」と尋ねてみたら、「校庭を走って、○○をして、給食が出て、これを食べきれなくて……」とやっと話してくれた。

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 タックンは保育園3年目になった。2階に教室が上がって、少しはお兄ちゃんらしくなった。からだもまた大きくなって、ガキっぽくなった。しゃべる言葉もずいぶんはっきりしてきたのには驚く。先日も出かけるときに階下のおじさんに「タックン、おはよう」と声をかけられた。するとタックンは「おはよう」と挨拶を返しただけでなく、「パパは会社、ヒトシは学校に行った。タックンはこれから保育園にいくの」と聞かれもしないのに話しかけた。おじさんに「そう、じゃあがんばってね」と言われると「うん、わかった」と答える。夕方、迎えに行って自転車で帰っていると、「風が冷たくなったね」などと大人が言うようなことをつぶやくではないか。成長につれ、環境の変化につれ、脳は加速度的に進化しているらしい。

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 そういえばその帰りに、いつも買っていたたこ焼きの屋台が出ていたが、ヒトシと全く同じに「たこ焼き食べたい!」というので、久しぶりに買ったら、「今日は上の子は?」とたこ焼きやのおじさんに聞かれた。「この春から小学校なんですよ」と言ったら、「そうですか。早いですね」。そういえば5年間ここのたこ焼き屋さんで買ってたんだ。あと何年続くやら。

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 今日、畑に行ったらジャガイモがだいぶ育っていた。植えたのが2月中旬で、早すぎたのもあるが、芽が出るまで2ヶ月以上もかかってしまった。(写真はすべて4月23日。八重桜、フジ、シャクヤクはいずれも他人様の庭先のものを撮らせてもらった)


【59】九州の春の無慈悲と高尾山の春の恩寵 [保育園送迎記]

 恐ろしい地震だ。本震が実は前震で余震だとおもったものが本震だという。さらに大きい地震が起きれば、前震も本震もみんな前震になってしまう。しかもそういう可能性がまだあるという。日本では太古からずっと大地震も大噴火も続いているのだから、地質学的なタームで見ればこのような大地震が起きても何ら不思議はないのである。ないのであるが、「もう起きないだろう」「起きてもここではないだろう」などと無根拠に思ってしまう。自然の脅威とか自然の恵みだとかいうが、自然は宇宙の原理原則でただ動き、そこにあるだけである。そういう真理もまたいつも自覚しておくべきだと思う。

 私の実家は福岡県中央部で、電話で聞いている限りでは目に見えるような被害はないようだが、こう連続して前震やら本震やら余震が続くと、「恐ろしくてたまらない。こんなことは初めてだ」という状況のようだ。あと1週間くらいというが、あと1年になるかもしれない。途上国などで大きな地震が起きて人的被害が甚大だと、あのへんは耐震技術がまだ進んでいないからな、などと勝手に想像するが、なんのことはない。われわれの国だってそう変わりはしないのだ。大災害が起きるたびに万単位の人たちが着の身着のままで放り出される。明日は我が身なのだ。

 死者40人、不明者10人余、負傷者千人余、新幹線も止まり、飛行機は飛ばず、道路は寸断され、電気ガス水道などのライフラインは破壊され復旧のめどたたず。九州もまた東北のような道を辿って行くのか。

 そんななか、昨日は例年恒例の高尾山一丁平の花見ハイキングに出かけた。この時期すさまじいほどの人出なのだが、昨日は例年の半分以下に減っている。自粛ということもあろうが、やはり気分の問題であろう。出かける気にならない。消費する気にならない、ということであろう。それでも花はきれいに咲き、うららかな陽気である。こういう1日を感謝しつつ、九州の悲劇をしっかりと胸にたたむ。

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【58】小学校入学の春 [保育園送迎記]

 春の天気は変化が激しい。寒いかと思えば昼間は暑くなり、夕方から寒くなってくる。昨日の朝はこぬか雨で肌寒かったが、ヒトシの晴れの小学校入学式である。私が、タックンを保育園に送って行った後、タカシとレミママと3人で、子供連れで歩くと30分ほどにある小学校へ向かった。

 午後になって、3人で私の家へ帰ってきたが、ヒトシの様子がおかしい。なんだかやたら不機嫌で怒りまくっている。聞くと、入学する同級生に友達や知り合いが1人もいないのがショックだったらしい。それは前もって何度も言い聞かせているのだが、おまけになんだか形式ぶった大人が回りにいっぱいだったことも気に食わなかったらしい。

 息子一家が住む団地は300世帯だが、今年小学校に入学する子供は4人という。おまけにヒトシは駅に近いほうの(これから通う小学校とは方角違いの)保育園に通っていたので、保育園での友達はそちらのほうの小学校へ入学している。だから一緒の小学校へ行く友達がいない。でもまあ子供のことだからこれから近所の子たちと一緒に登下校すれば仲良しもできるだろう。

 息子たちが小学生のときは1学年5クラス以上あったが、ヒトシの学年は25人のクラスが2つだという。子供の数が30年前の半分以下になったというわけだ。その分、われわれ年代以上のシニアの人口が倍になっているということになる。少子高齢化の典型例みたいなものだ。

 その高齢者たちのつくっているシニアクラブの活動が盛んで、その一環として、小学生たちの登下校時に通学路の要所要所で、スクールガードとして子供たちを見守ってくれている。学校からは子供たちに持たせる防犯ブザーとホイッスルが配られた。そういうことがなにも大げさなことではないと感じられるような事件がときどき起こるものだから、そのうちどっかの国のように、親が車で校門まで送り迎えするようになるのかしらん。

 校長先生は入学式で「とにかく元気で学校に毎日通ってくれるのがいちばんです。それだけでいいです」と挨拶したそうである。そうなんだろうな。なんだかさみしくなるような時代ではある。

〔7〕マーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィチ [みたび寄り道]

 モーツアルト、ベートーベンの次はマーラーである。この頃はマーラーが盛んに演奏され出したころで、CDという長時間録音のノイズなしという便利なものが世の中に出てきたおかげもあって、クレンペラー、ワルター、バーンスタイン、ショルティといったマーラー直系のユダヤ人指揮者をはじめ、先にも述べたズービン・メータ、小澤征爾、テンシュテットといった指揮者たちが世界一流どころのオーケストラを指揮したCDが次々に発売されてきた。それまでのLPより小さくて長時間録音が可能なCDの出現はマーラーやブルックナーの交響曲のような長大な作品を聴くのに便利になったのである。

 佐々木昭一郎という元NHK(当時。今はテレビマンユニオン)の演出家が、1980年につくった「四季・ユートピアノ」というドラマがあった。音楽と映像とドラマが渾然一体となった作品だが、そのなかでマーラーの交響曲4番がずっと流れていた。これを私はたまたま見たが、その音楽に取り憑かれてしまったのだ。それ以来、バーンスタイン=ニューヨークフィルの4番と小澤征爾=ボストン交響楽団の1番を毎日毎日飽きもせず聴き続けることになった。1番と4番は比較的短くメロディもわかりやすいので入門にはよかったのである。毎朝、マーラー4番をかけるものだから、妻は「もういいでしょう。この曲きらい」と言い出した。わからぬでもない。甘美なメロディは聴きようによってはねっとりとしてしつこい。だからしばらく聴くと、しばらく間を空ける。そのあとは、ズービン・メータ=ウイーンフィルの2番も繰り返し繰り返し聴いた。

 モーツアルトといいマーラーといい、天才は狂気をだいぶ含んでいる。それは音楽に限らないが、そういう人間たちの創造物に容易に触れることができるのは幸せなことと言えるだろう。さて、マーラーに飽きたら次はブルックナーだ。ブルックナーと言えば当時は朝比奈隆巨匠だった。これを上野に聴きに行った。9番シンフォニーであったが、ぐっすり眠ってしまった。熟睡である。もったいないことをしたものである。

 ブルックナーの次はショスタコーヴィチ! 4、5、7、8番交響曲あたりが素人にはわかりやすい。CDでボリュームを上げて繰り返し聴いている。「ショスタコーヴィチの証言」という有名な自伝があるが、これがおもしろい。当時にスターリン独裁下のシビアな現実が描かれていて、今もそうだが、いやはや大変な国である。ショスタコーヴィッチとハチャトリアンに新しい国歌を作れとスターリンから命令されて、2人で苦心するところなどおもしろいような悲しいような。それにしてもあの国はおそろしい。でも音楽・文学など世界的な遺産が多いけどね。

 同じスターリン体制下に若い日を送った有名なプリマドンナ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤの『ガリーナ自伝』という本も実に興味深い。彼女はこれも世界的なチェロ奏者・指揮者として有名なロストロポーヴィチ夫人でもあり、ショスタコーヴィチ、ソルジェニーツイン、ブリテン、サハロフなど芸術家や科学者たちとの交流が描かれている。当時のソ連指導者たちの姿も詳しく描かれている。 ドイツ軍に包囲されたレニングラードの様子が生々しく描かれている。ショスタコーヴィチは路上で少年が軍人に射殺されるのを目撃している。レニングラード包囲戦は900日に及び、砲撃や飢餓で67万の市民が犠牲になったという。

 先頃、ノーベル文学賞を受賞したアレクシエーヴィチという女流作家の作品を最近読み出した。この国の歴史は革命や戦争を経て、今現在に至るまでずーっと連続して途切れることなく過酷なままということがわかる。

〔6〕やはりモーツアルトから [みたび寄り道]

 ウオークマンといえばソニーの代表的なヒット商品として世界中に広まったのは周知の通りである。ただ、あれはそれほどのヒットを狙って作った商品ではなかったような気がする。「こういうのがあったらいいな」くらいの遊び心的な動機で開発されたのではないか。だいたいヘッドフォンで音楽を聴きながら街中を歩くなどはほめられた行動ではない。危険でもある。電車内などでは非常に迷惑がられる。

 かくいう私もウオークマン、CDウオークマン、iPodと合わせれば10台は買っている。買っているが、これは音楽鑑賞のツールとしては外道邪道だといつも思っている。外界の音を遮断して自分の世界にこもるのは精神衛生上も安全面からも決してよくない。回りから話しかけられても受け答えができないし、歩行中でも自転車でも危険である。さらにiPhoneとなると、耳も目も意識も外界から遮断される。私はいつもいうのだが、電車の中や公道を歩行しながらのスマホは実に見苦しい。

 話が飛んでしまった。マーラーとウオークマンの話だった。クラシックに限らず音楽鑑賞で一番いいのは生の演奏を体験することだが、経済的理由その他でそう簡単にはかなわない。だからレコード、のちにはCDやDVDで日常は聴くのであるが、ステレオの前で何も他のことをせずに一心に聴くということはできるものではない。本や新聞を読みながら、デスクワークをしながら、といった聴き方になる。その点、山歩きをしながらウオークマンというのはいい鑑賞法になるのである。もちろん、連れのいない、危険のない低山に限るのであるが。外道邪道といいながら、こういう聴き方をしていたのである。

 マーラーについては、ジュゼッペ・シノーポリ指揮のフィルハーモニア管弦楽団で2番、ワレリー・ゲルギエフ指揮のマリンスキー管弦楽団で3番を聴きに行った。一流どころを一流ホールで聴いたのはこれくらい。もう何年前になるか。シノーポリはお医者さん(脳外科・心理学)でもあったが、その数年後に亡くなってしまった。私が聴いたときは、最前列で見ていたが、相当の肥満体であった。指揮本番中に心筋梗塞で急逝したそうだから、そういうことも関係したのかもしれない。たまには本物を聴くのもいい経験だな。

 さて、クラシックでまず聴いてみたいのはやはりモーツアルトである。交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏曲、五重奏曲、そしてなんといってもオペラ。これらを聴きました。カール・ベーム、カラヤン、グルダ、ブレンデル、内田光子、その他その他。最初の頃に聴いて一番気に入ったのが「フルートとハープのための協奏曲」と「ピアノ協奏曲26番戴冠式」。これ誰が聴いてもすぐわかる、とても気持ちよくなる曲である。

 モーツアルトの次はベートーベン。交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲、これらはいまでも繰り返し聴いている。私の場合、指揮者や演奏者によってどこがどうちがうかなどはよくわからないのだが、聴いただけで違うと思ったのはフルトベングラー。黒澤明みたいにすごさが伝わってくる。フルトベングラー指揮、メニューイン/ヴァイオリン、フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリン協奏曲は大昔(1953年)の録音だが、まことにすばらしい。「演奏者と聴衆との間に感動は生まれる」とフルトベングラーは言ったそうであるが、なるほどと思う。


 

【57】最後の登園 [保育園送迎記]

 3月31日はヒトシの最後の登園日だった。思えば2011年4月1日から丸5年通い続けたことになる。あの年は大震災の年、そして私の肺がんの手術からちょうど1ヶ月経ったときだった。ヒトシも最初は保育園に連れて行くと泣いてしがみついてきたが、今日から10日後の11日からは小学生になる。
 
 生まれたときが2000gちょっとの低体重児だったせいか、まだ他の子供に比べると体格的には小振りだが、大きな病気やケガもなくここまで育ってきた。この団地もご多分に漏れず高齢化が進んできて、ヒトシと同年齢に近い子供はほとんど見かけない。小学校も近所の子供連れだってにぎやかに登校するということもなさそうだ。もう少し地区の範囲を広げるともちろん小学生はそれなりにいるが、今度の1年生は40人2クラスだという。

 このところ思うのだが、もし保育園に通わないで、母親が専業主婦で幼稚園2年通うとしても、まわりに同年代の子供がほとんどいないのだから、幼稚園に通うまでは、母親と家にこもりきりになりかねない。保育園にでも通わせないと、近所の子供たちが集まってわいわい騒いで遊ぶということはできないのである。

 昔よく見られた、子供たちを砂場で遊ばせておいて、お母さんたちはまわりのベンチに座って井戸端会議などという風景も私たちの世代で終わったようである。むろん今でも新しいマンションや建売り住宅が多い地区はそういう光景が見られないではないが、専業主婦という存在自体がずいぶんと減っている。

 ということは、都市周辺に暮らして、夫がサラリーマンで妻が専業主婦という夫婦の形態は団塊の世代あたりからせいぜい5年下の世代くらいまでしかなかったのではないか。1億総中流などという言葉がまだ生きてた時代である。むろん戦前の昔から上流階級というのは頑としてあるので、そういう家族はのぞいての話であるが。

 例の保育園待機児童の話題に関連して、厚労省が保育士1人あたりの児童数を国の基準に引き上げて定員を増やせということを言ってるらしいが、現場では保育の質が落ちるとか労働強化になるとして猛反対だとか。でも、公立や認可保育園を増やして、保育士の待遇をあげて、保育の環境も万全にして、などと言い始めると、いつまでたっても、またいくら費用をつぎ込んでもいつまでも問題は解決しないだろう。

 そういう保育施設に運良く入れば非常に質の高い保育を受けられるが、そこに入ることができなければ、受けられるサービスはまったくのゼロである。入れた人も入れなかった人も同じ納税者なのであるが。われわれは規制や既得権益に守られている企業や団体や人々には厳しい見方をするが、いざ自分が規制に守られた有利な環境に入れば、その環境を少しでも劣化させる規制緩和には反対する。なんだかなあ。

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