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【64】またやっちゃったメモ3 [ほいくえん送迎記]

 もうそろそろ退院の予定も入りだす頃になっても、37、8度の熱が続き、なかなか下がらない。おまけに不整脈が出た。これは自覚症状がなにもない。こういう手術をすると往々にして出るものらしい。循環器内科に回されて心電図とって薬を飲むようになった。おまけに携帯心電図読み取り無線装置(?)を24時間付けさせられた。ちょっとでも外れると看護士さんが飛んでくる。これが邪魔臭くてたまらない。

 熱に対しては、またレントゲン、血液、エコーなどの検査である。ところが内科の診断でもなんでもない。ただ、レントゲン検査で、肺の底にかすかな影が見える。ひょっとして肺炎? これはまずい。ところが痰も咳もでないので、確定できない。丸1週間抗生剤を点滴することになった。朝7時、昼2時、夜10時と1日3回。「これ1本いくらするんだろう?」と思わず考えてしまう。1週間経った頃やっと熱が下がりだした。肺炎かもしれないが、胸膜炎だろうということになった。X線画像では両者を判別できないのだ。

「抗生剤が効いてきたんですかね?」と医者に効くと「いや、単に自己治癒力かもしれません」という。ふつうほっといても治ることが多いのであるが、かといって何もしないで、悪化しても困るので、抗生剤の投与を決めたわけだ。肺炎が悪化したら最悪である。でも、こうやって薬剤耐性菌を増やして、院内感染のもとをつくっているのかもしれない。ただ、お年寄りなどの場合、こういうときの肺炎でこわいのは、誤嚥性肺炎である。年を取るのはやっかいなことである。

 熱も下がったので、退院だ。結局25日間の入院であった。11月11日、小雨の中をわが家へ帰ってきた。入院するまで74キロあった体重は68キロまで下がった。帰ってからさらに下がって現在65キロである。BM!は20以下になった。それにつれて血圧も下がって、上が100前後(90台が多い)、下が75くらいである。ずっと高血圧だったのが、適正を通り越して低血圧である。これでは体力がつかない。座っているときに何かの用を足すために立ち上がるまで10分もかかる。おっくうというのではない。体力気力がついていないのだ。立ち上がれば立ちくらみがする。果たして、以前の通りにとは言わないが、せめて8割くらいまで体力が回復するのにどれくらいかかるのか。

 退院して1ヶ月経ったが、散歩の距離も少しずつ長くなっていった。ただ、歩き出しの息の整え方がむずかしい。息苦しくて、ハーハーとなる。腹式呼吸を努めてはいるが、苦しさには勝てない。歩き出しを過ぎてペースに乗れば呼吸は楽になる。歩き終わりはまた苦しい。息の整え方が難しいのだ。こういうことを繰り返して行くしかない。

【63】またやっちゃったメモ2 [ほいくえん送迎記]

 保育園送迎はしばらくはレミママに代わってもらう。1歳になったばかりの末っ子(娘)を抱いての送迎はさぞ大変だろうとは思うが、なに、同じようなママさんは保育園でもよく見かける。これは私のためでもあるのだが、息子は電動機付きの送迎用(子供2人を乗せられる)自転車も買った。これがすぐれものらしい。むしろ車のほうがよほどめんどくさいので、雨でも降らない限りはレミママはすっかり愛用するようになった。
 
 さて、手術は19日の9時過ぎに始まった。麻酔が効いてくればあとはもう数時間後に目覚めるまで、まったく生きていないのと同じである。15時頃と思うが、意識が戻ると主治医のU医師が「悪いところは全部取りましたよ」と一番に伝えてくれた。左の上の部分を取る予定が、上の部分の一部と下部分全部を切除したという。そうしたほうが安全だという判断には納得したし、私の体力から見て、これでも十分QOLは保てるという判断でもある。これで私の肺は左右会わせておおよそ半分になった勘定になる。もちろん、ほっておけばすぐに寿命はつきるだろうし、手術をしてもだいたい命の長さは想像できる。

 担当の麻酔医のT女医とはその後も親しくなって、毎日のように私の病室をのぞいてくれた。「しばらくはね、富士山の頂上を歩いているようなものよ。息苦しくてしょうがないと思う。でも体力が回復するとともに少しずつよくなっていくよ」と言ってくれたが、とんでもない。退院したら、無酸素でエベレスト頂上にアタックしているような苦しさを味わうことになった。入院中はいたれりつくせりで、あんまり負荷を感じないようだ。

 前回は背中の肩甲骨の下を切開したが、今回は脇腹である。こちらのほうが回復後の動きがスムーズになるという。脇腹を切開して内視鏡やメスを入れると腕は上げっぱなしにして固定しなければならない。これが術後、麻酔が切れると大変な痛み(肩関節痛)となってかえってきた。切開あとの痛みどころではない。医者は肩の痛みなど関心がないようだが、すべての痛みのもとは肩だけなのである。湿布薬をもらって貼って、ひたすら肩をなでまわす。五十肩の痛みと同じかそれ以上である。

 肩の痛みがようやく収まってきた頃は便秘がやってきた。麻酔や咳止めの薬は腸の動きも弱らせるので、どうしても便秘になる。酸化マグネシウムが処方されているが、効くものではない。5日も経って娘よりずっと若い看護士にかき出してもらおうとしたが、うまくいかない。最後は浣腸である。これがやっと効いた。「10分がまんするんですよ」とかわいい看護士さんに言われて、トイレに入ったままがまんした。この看護士さんとは退院するとき、感謝の念を込めてしっかりと握手した。いつも思うのだが看護士さんのような職業の人たちのプロ根性にはいつも感嘆させられる。

 手術をした翌日、男の看護士さんが身体の隅々まで清拭してくれた。「いやあ、感心するね。えらいね」と言ったら、「いや、誰かがしなければならないことですから」と言ったあと「でも、いやいややってるんじゃないですよ」と笑いながら答えてくれた。失礼なことを言ったな、とあとで反省してしまった。

 ろくでもない話ばかりで恐縮だが、入院中の困りごとのひとつは不眠である。私はふだん便秘にも縁がないが、不眠にも悩まされることはない。しかし、入院中は何不自由ない代わりに運動不足のうえに点滴やら薬ばかり飲んでいるからどうしても夜眠れなくなる。秋でもあるし、こういうときはなぜか夜がすぐ来るし、9時には消灯である。入眠剤を頼めばくれるが、30分しか持たない。そのあとはよけい目が覚める。夜が明けるのをまって、朝食を食べて、薬を飲む。売店まで行って新聞を買ってきて読む。鎮痛剤が効いたところで少し眠れる。

【62】またやっちゃった [ほいくえん送迎記]

 丸2ヶ月、ごぶさたしました。病気でした。5年生存率がどうのとかいうあの病気です。このブログを始めるときに書いたように、東日本大震災の年の3月1日に前回の手術を受け、その入院中の11日に大震災を迎えたのでありました。そしてその年の4月から、ヒトシの保育園送迎を始めたのでした。

 前回のときはごく初期のもので、このステージの5年生存率は85%でした。ですから切り取ればそれで完治と思ったんですな。医者もそう言った。実際、退院以降、2週間、1ヶ月、3ヶ月ごとと間隔を空けながら、術後の検査および診察を律儀に受け続けてきましたが、その間、怪しげな影は差さず、無事、丸5年目を今年2016年の3月に迎えました。

「これからはどうしますか。これで終わりにしますか。それとも半年にいっぺん検査を続けますか?」と主治医に言われたので、「では半年ごとに来ます」と答えたものでした。そして最初の半年後の9月5日のレントゲン写真に怪しげな影が映っているではありませんか。

 ああ、それからはまたしても検査の嵐です。まず3日後の8日にCTスキャン。翌週の15日に結果を聞きに行って、受付(機械です)をしたら、診察前に心電図と肺活量を測定せよとの指示が出ている。これはすでに手術を予定しての指示だ。主治医の診察では「CT画像もよくない。とにかく手術を前提に検査を進めましょう」とその場で、MRI、PET、生検(気管支鏡)を予約を入れられた。

 MRIは脳、PETは脳や肝臓をのぞく全身の転移の有無の検査だ。できちゃったものはしかたがない、ということはすぐに覚悟できるが、これがどこかややこしいところに転移しているとなれば、覚悟も猶予なしの深刻なものになる。さっそく帰って、前回の「もしもノート」と取り出してきて、最新版を作る。そして今回は妻や息子夫婦にも正確に説明し、もしものときは、必要と考えられることは全部ここに書いてあるのでこのとおりにせよと伝える。

 幸いにして(何が!)転移は見つからなかった。気管支鏡検査はやはりクロ。ただし非小細胞タイプということで、ほんの少しは神様のお恵みがあった感じ。ということで、10月18日入院、翌日19日手術とフィックスされてしまった。なにしろ、私の肺活量4000とかで、「これだけあれば十分手術はできます。1000あればできますから」などと安心させる(何が!)。前回は右上、今回は左上である。だが、その場所が悪い。上から下にまたがっている。「こういう場合、左の全摘が確実ですが、dairoさんの場合、前回のこともありますし」と悩ましいように言うので、「全摘は避けてください。20年後ならともかく、この年で車いすに乗って酸素ボンベを吸っているなどという姿は考えたくありません。それなら死んだほうがましです」と答えた。今でもほんとにそう思っている。

 18日、タックんを保育園に送って行ったあと、入院すべくタクシーを電話で呼ぼうとしたのだが、「30分くらいかかります」などと平日の午前中らしからぬことを言う。「この時間はお年寄りの通院が多いんです」などと言い訳をしている。「ちくしょうめ。1割負担のヒマ老人が」などと1人毒づく(ごめんなさい)。ふだんなら自宅から病院まで40分歩くところだが、今日は荷物がある。しょうがない、自転車で病院まで駆けて行った。「こんな病気で自転車で入院する人なんて考えられない」とあとで息子に笑われた(あきれられた)。

 そして手術の朝が来た。