So-net無料ブログ作成

【73】肺機能の低下で考えたこと [保育園送迎記]

 今日はまた暑さがぶり返しているが、ここ数日気温がだいぶ下がっていたせいか呼吸がずいぶん楽になって、暑い今日も以前よりはだいぶましになった。雨が降っても楽に感じられることもあるが、気圧も関係しているのかもしれない。呼吸をするなど、健康な人ならだれも意識しないだろう。私だって、若い頃から走る、泳ぐ、山に登る等々、有酸素運動はずいぶんとやってきた。これらの活動にはまずは肺と心臓の十分な働きが必須であるが、だれもこういうことをことさら意識はしないだろう。

 でも、肺や心臓の働きが損なわれれば、だれでもなくしたものを強く意識することになる。今まで難なくこなしていたことができなくなる。長い時間をかけての老化現象ではなく、病気やケガによってその能力が断ち切られる。もう元に戻って能力を回復することができない。これはとてもつらいことである。ああ、もう私はああいうことができなくなった、と。

 ところが、である。デフリンピック、パラリンピックなどで活躍するアスリートたちを見れば、そうとばかりもいえない。たとえ手足の機能がなくなっても、視力や聴力が失われても、彼らは勝利や記録を目指して挑戦を続ける。登山家の田部井淳子さんは末期がんの身でありながら、「それがどうした」とばかりにそれこそ死ぬまで山に登り続けた。余命はあと3ヶ月ですといわれた田部井さんは「あら、そう」と言い放ってまた山へ出かけたそうである。

 雑誌『図書』に作家の高橋三千綱さんが自分の闘病生活を書いている。重度の糖尿病、同じく重い肝硬変、さらに食道がんと、致死性の病気に重ねておかされながら、酒は飲むわ、入院中のベッドで深夜まで執筆を繰り返したり、長距離バスに乗って関西までゴルフをしに行ったり、と破天荒である。多分に無頼派作家の無軌道ぶりのようであるが、書かれた文章はわかりやすくビビッドである。役に立つ医学情報も盛り込んである。感心できる振る舞いではないところもあるが、人間、ここまで苦境に陥っても、これだけの仕事ができるというのはたいしたプロ根性である。

 こういった人たちの行動を見ていくと、努力、克己、といったこともあろうが、あんまり常識や周囲の意見にとらわれないことも決して間違ってはいないということである。医者と対話を繰り返しても、「これが正解だ」ということが整理されて見つかるわけではない、ということが自分の経験からもよくわかる。

 さてさて、夏休みでヒトシはずっとわが家に連泊して朝は一緒にラジオ体操に行き、サマースクールだ水泳教室だ、と言っては小学校に出かけている。先週1週間はレンは夏風邪で休みっぱなし。おまけにタックンは手足口病に罹って、ダウン。やっと今日から2人そろって保育園に行った。おかげでしばらくは孫の面倒見が続く。

P1010053.JPG


 

【72】耳に音がこもるーー耳管開放症だって [保育園送迎記]

 からだのだるさは昨年10月の手術以降ずっと続いており、座った状態から立ち上がるのさえ難儀である。ただ、立ち上がると同時に立ちくらみがするようなことはなくなってきた。風呂で湯槽につかった状態から立ち上がるのもなかなかむずかしかったが、これも多少はましになってきた。それと、耳に音がこもることも相変わらずだが、こちらも少しずつながら改善しているようである。

 耳の中に音がこもって、自分の声や呼吸音が響くのは健康な状態でもままあることであるが、私の場合、これがしょっちゅうなのである。おまけに耳鳴りもほぼ四六時中である。とくに夜、床についてからは「キ〜〜ン」とジェット戦闘機並みである。肺の腫瘍の場合、とくに骨と脳への転移が心配されるので、これはひょっとしたら脳転移じゃないかと本気で心配していた。

 6月にその骨(RI)と脳(MRI)への転移を調べたが、幸いなことに転移は今のところなさそうである。息苦しさは相変わらずであるが、こちらもいくらかはましになっているようにも思えるが、肺には気になる突起上の影があるらしく主治医は首を傾げている。最近はなんでもあけすけに患者に説明するので、聞きようによっては「ドキッ」とすることをいう。「9月にまた造影CTを撮りましょう。それで専門医(放射線診断医)に診てもらって、気になるようだったらまた生検しましょう」などとさらっと言うのである。(ちなみに、だが、この造影CTとRI、MRIを撮ると3割負担でも3万円はかかる。ときどき、医者はそういう費用のことは考えて指示してるのかなと、ちらっ、とだが思うことがある。もちろん私なぞまだめぐまれているほうであるが。)

 でももうこちらもだいぶ覚悟ができてきた。いろいろ素人考えをしてもなるようにしかならないのである。診察は3ヶ月に一度でいいと言うからにはそう切迫しているのではなかろう。ただ、耳に音がこもるのはなんとかならぬものかとネットで調べたら、「耳管開放症」という言葉が見つかった。病気やダイエットなどで急に体重が落ちた人などに出るそうで、耳の奥と鼻とをつなぐ耳管が開きっぱなしになると、自分の声が外気を通さずに直接中耳に入り、こういう症状が出るらしい。筋肉や脂肪が落ちることでこういうことが起きるそうだ。対処療法として腰を前に折って頭を下げると、血流が下がってうっ血状態になるので一時的にせよ耳管が塞がり症状がおさまる。やってみるとなるほどそうなった。だが、やはり抜本的には体重を戻すしかない。

 先週末、猫額畑を見に行くと雑草だらけになっていたが、ナスもゴーヤも稔りがあり、ひまわりも大輪の花を咲かせていた。これはうれしい。

P1010056.JPG

【71】豪雨被害と父の様子 [保育園送迎記]

 私がその場にいたわけではないが、私の姉や姪、友人たちが異口同音にその雨のすごさを電話口で語っていた。「バケツをひっくり返したような」「滝のような」「今まで経験したことのない」といろんな言葉で形容される九州北部の豪雨である。雨がひどくなったのが7月5日の午後から夜にかけてである。たまたまであるが、姉、姪、友人が同じ頃にそれぞれのクルマで帰宅している最中だった。姪と友人は、あっという間に冠水し、水かさを増した道路にクルマを放置して歩いて帰るしかなかった。2人よりは早い時刻だったので、姉だけはクルマを運転してなんとかのろのろと帰り着いた。「前はなーんも見えんとばい。おそろしかった」そうである。

 私の故郷は今回の豪雨ですっかり有名になった福岡県の朝倉市である。平成の大合併で、私の生まれた朝倉郡朝倉町、同杷木町、甘木市が合併して朝倉市となった。今回、朝倉市、日田市と並んで被害地域として大きく報道されている東峰村はもと朝倉郡小石原村と同宝珠山村である。実は、甘木市も元々は朝倉郡なのであるが、この地域の商業の中心地で人口も一番多い地域であり、いち早く独立し市制を敷いたのである。平成の合併のときは古代以来の伝統のある朝倉の地名を踏襲したというわけである。私の出身高校は旧甘木市の中心地にあるが、当時も今も朝倉高校という。

 今回もっとも被害が大きいのがこの元甘木市と元杷木町、そして日田市の山間部であるが、元朝倉町にも人的被害も含めて甚大な被害が出ている。私の出身中学校である比良松中学校も被害が大きく報道された。元朝倉町は筑後川中流域に開けた扇状地で、稲作や柿、そして万能ネギなどの商品作物生産がさかんな農作地帯だが、今回の被害の中心地域はその筑後平野の背後にある山間部である。過疎化が進み、ダム建設などもあり市街地へ移り住む人も多く、空き家も目立つ。そこへ豪雨が襲ったのである。「16億円かけた道路が3時間の雨で流された」と地元出身の友人は言う。

 実はその豪雨の5日前に朝倉市に帰省し3日前に自宅に戻ってきていた。高齢の父が心臓が弱り、入院したというので、とりあえず様子見に帰ったのである。94歳になる父は足腰が弱っていはいたが、みんながやめさせようとしていたクルマの運転もしていた。ところがここへきて2度ほど事故を起こし、大事には至らなかったのが幸いだったが、いよいよ免許を返納したところだった。医者の診断によると「心不全」である。若くて体力があれば手術して処置することもできるが、さすがにそれはやめましょうということになり、当面は入院しながらリハビリを続けることになった。

 豪雨とこの暑さである。当面は入院を続けるしかないのだが、立ち上がり、歩くことができなくなった。ときに認知症の症状も現れる。しばらくは食欲もなくなっていたが、ここ数日は回復し、ベッドの上で身体を起こすことまではできるようになった。ここからどういう経過をたどることになるのか、これからしばらくは私自身の病状もあり、なんというか、勝負所にさしかかってきたようである。