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【66】1年生の耐寒マラソン [保育園送迎記]

 一年のうち、一番寒いのが今の時期でしょう。関東地方南部はそれでもほかの地方に比べればずいぶんと恵まれています。トップニュースになるような大騒ぎの積雪などは年に一度あるかないかです。北陸や東北地方が大雪で難儀している時期は、カラカラ天気で、真っ青な空が広がっています。ただそれでも風は冷たく、凍えるような日々が続きます。

 たまに風のないぽかぽか陽気の日が挟まることがあります。こんな日は散歩をします。メジロやツグミがエサをあさって木々を飛び交ったり、地べたをスキップしています。外は風でも、陽の光はサッシ窓を通ってきて部屋を暖めます。昔は、縁側でひなたぼっこ、押しくらまんじゅう、そしてたき火。よくやりましたね。子どもは風の子、なんて言って。青ばな垂らして。障子と板戸で、家の中はすきま風は吹いて、部屋の中はせいぜいが掘りごたつと火鉢。そういえばよく火事が起きてた。

 しもやけは誰でもやりました。手の甲が真っ赤になってぷくーっと腫れる。暖めるととてもかゆくなる。そのうち膿が出てくる。そう言えば昔はドクダミを干したのをできものなどによく使いました。おできもよくできた。膿を出すのが痛いながら気持ちよかったりして。子どもの頃のことでよく思い出すのは、フトンに入って寝るとき、母親がからだの周囲に沿ってフトンを踏んでくれる。冷たい空気が抜けて暖かくなる。朝になると軒先にまがんこ(つらら)が下がっている。

 年末あたりからヒトシの学校は持久走の練習をしていた。その本番が昨日あった。1年生の男子全体で25、6人だが、校庭を1周して校舎のまわりを走る。1年生とはいえ、競走である。ずいぶんスピードが出ている。ヒトシは校庭1週までは5、6番目につけていたが、ゴール時点で結局は11番であった。それでも真ん中よりは前であるから十分な結果である。がんばった。トップになれなかった子が悔し涙を流しているではないか。いいね。

 もう少し大きくなるとマラソンなんてと、斜に構えてぶらぶら走るやつも出てくるだろうが、それは多分に劣等意識から来る。やはり一生懸命走るのは見ていても気持ちがいい。そういうまっすぐな構えを崩さないでほしいね。

 話がまた揺れる。11月に退院してから、12月にまたいろんな検査をやり、その後の異常がないという確認をしてから、今月から「術後補助化学療法」というのを始めた。いわゆる抗がん剤ですな。ひと月あたり10日入院を4クールという長丁場である。あんまり気が進まない治療だが、医者の勧めもあり、後で後悔するよりは、という思いで受けることにした。

【65】年末年始、吉田拓郎、小椋佳、送迎再開 [保育園送迎記]

 明けましておめでとうございます。だいたい年末年始は関東地方はいい天気が多いのだが、今年も(昨年末から)いい天気が続く。正月と言っても何もしないで、ごろごろしているだけであるが、今年は特にそうである。暮れの30日に大掃除らしきものをやって、サッシの窓ふきや照明器具の掃除をやったが、その影響か、まだ足腰の筋肉痛がする。この掃除にしても息づかいが大変で、ちょっと動いてはヒザに手を置いてハーハーやらなければならない。知らない人が見たらあきれてしまうだろう。

 その年末のある日、NHKで吉田拓郎のコンサートを中心にしたドキュメント番組をやっていた。吉田拓郎は現在70歳である。私より7歳年上になる。彼は肺がんを患ったことがあるので、その後の経過はどうなったのか、いつも気になっていた。調べたら2003年に手術をしている。当時、57歳で、私の1回目のときと同じ年である。その後、2007年にも再発か、と騒がれたが、この時は胸膜炎と気管支炎だったそうだ。これはWikiなどネットで調べただけなので、実際どうだったのかはわからない。わからないが、だいたいこういう経過だったのだろう。2007年のときは更年期障害、うつ症状も出たとされている。

 テレビで見ていると、やはり寄る年波と病気によるものか、顔つきもだいぶ年相応になってきている。表情や動きにもキレが少し鈍っているようにも見え、体重も減っているのだろうが、コンサートは「命がけでやる」という通り、力の入ったこれまでと同じ歌唱力で、感動的だ。でも、いまはまだ人生を語らず。

 また、つい先日にはTVで小椋佳が自分の胃がんのことを語っていた。これは日経の「私の履歴書」でも書いていたことだが、57歳の時で、胃を四分の三も取り、30キロもやせて、おかげで糖尿病が治ったとか。がんのおかげで長生きしているという。もうひとつ驚いたのは彼の次男が若年性脳梗塞を中学2年のときに患ったということだ。現在は日本中で数人しかいない琵琶づくりの職人だそうである。当たり前の話だが、順風満帆の人も人生万事無事の人もそういるものではないのである。
 
 暮れの28日は保育園最終日であったが、2ヶ月半ぶりにタックんをクルマで送って行った。担当の保育士さん2名が「お久しぶりです。お元気になられてよかったですね。これからまだまだ寒くなりますのでお体に気をつけて」と涙の出るような言葉をかけてくれた。

 末っ子(第3子女の子)が保育園入園が決まれば、レミママは4月から職場復帰するという。だから私も、1月からまた送迎を始めようと思う。ただ、抗がん剤治療も始めるので、4月までひと月に10日間入院しなければならない。まあ、先のことをいろいろ考えてもしようがない。その場その場で行動を決めていくしかない。今から先のことを決めてもまた変わるのだ。

 

【64】またやっちゃったメモ3 [保育園送迎記]

 もうそろそろ退院の予定も入りだす頃になっても、37、8度の熱が続き、なかなか下がらない。おまけに不整脈が出た。これは自覚症状がなにもない。こういう手術をすると往々にして出るものらしい。循環器内科に回されて心電図とって薬を飲むようになった。おまけに携帯心電図読み取り無線装置(?)を24時間付けさせられた。ちょっとでも外れると看護士さんが飛んでくる。これが邪魔臭くてたまらない。

 熱に対しては、またレントゲン、血液、エコーなどの検査である。ところが内科の診断でもなんでもない。ただ、レントゲン検査で、肺の底にかすかな影が見える。ひょっとして肺炎? これはまずい。ところが痰も咳もでないので、確定できない。丸1週間抗生剤を点滴することになった。朝7時、昼2時、夜10時と1日3回。「これ1本いくらするんだろう?」と思わず考えてしまう。1週間経った頃やっと熱が下がりだした。肺炎かもしれないが、胸膜炎だろうということになった。X線画像では両者を判別できないのだ。

「抗生剤が効いてきたんですかね?」と医者に効くと「いや、単に自己治癒力かもしれません」という。ふつうほっといても治ることが多いのであるが、かといって何もしないで、悪化しても困るので、抗生剤の投与を決めたわけだ。肺炎が悪化したら最悪である。でも、こうやって薬剤耐性菌を増やして、院内感染のもとをつくっているのかもしれない。ただ、お年寄りなどの場合、こういうときの肺炎でこわいのは、誤嚥性肺炎である。年を取るのはやっかいなことである。

 熱も下がったので、退院だ。結局25日間の入院であった。11月11日、小雨の中をわが家へ帰ってきた。入院するまで74キロあった体重は68キロまで下がった。帰ってからさらに下がって現在65キロである。BM!は20以下になった。それにつれて血圧も下がって、上が100前後(90台が多い)、下が75くらいである。ずっと高血圧だったのが、適正を通り越して低血圧である。これでは体力がつかない。座っているときに何かの用を足すために立ち上がるまで10分もかかる。おっくうというのではない。体力気力がついていないのだ。立ち上がれば立ちくらみがする。果たして、以前の通りにとは言わないが、せめて8割くらいまで体力が回復するのにどれくらいかかるのか。

 退院して1ヶ月経ったが、散歩の距離も少しずつ長くなっていった。ただ、歩き出しの息の整え方がむずかしい。息苦しくて、ハーハーとなる。腹式呼吸を努めてはいるが、苦しさには勝てない。歩き出しを過ぎてペースに乗れば呼吸は楽になる。歩き終わりはまた苦しい。息の整え方が難しいのだ。こういうことを繰り返して行くしかない。

【63】またやっちゃったメモ2 [保育園送迎記]

 保育園送迎はしばらくはレミママに代わってもらう。1歳になったばかりの末っ子(娘)を抱いての送迎はさぞ大変だろうとは思うが、なに、同じようなママさんは保育園でもよく見かける。これは私のためでもあるのだが、息子は電動機付きの送迎用(子供2人を乗せられる)自転車も買った。これがすぐれものらしい。むしろ車のほうがよほどめんどくさいので、雨でも降らない限りはレミママはすっかり愛用するようになった。
 
 さて、手術は19日の9時過ぎに始まった。麻酔が効いてくればあとはもう数時間後に目覚めるまで、まったく生きていないのと同じである。15時頃と思うが、意識が戻ると主治医のU医師が「悪いところは全部取りましたよ」と一番に伝えてくれた。左の上の部分を取る予定が、上の部分の一部と下部分全部を切除したという。そうしたほうが安全だという判断には納得したし、私の体力から見て、これでも十分QOLは保てるという判断でもある。これで私の肺は左右会わせておおよそ半分になった勘定になる。もちろん、ほっておけばすぐに寿命はつきるだろうし、手術をしてもだいたい命の長さは想像できる。

 担当の麻酔医のT女医とはその後も親しくなって、毎日のように私の病室をのぞいてくれた。「しばらくはね、富士山の頂上を歩いているようなものよ。息苦しくてしょうがないと思う。でも体力が回復するとともに少しずつよくなっていくよ」と言ってくれたが、とんでもない。退院したら、無酸素でエベレスト頂上にアタックしているような苦しさを味わうことになった。入院中はいたれりつくせりで、あんまり負荷を感じないようだ。

 前回は背中の肩甲骨の下を切開したが、今回は脇腹である。こちらのほうが回復後の動きがスムーズになるという。脇腹を切開して内視鏡やメスを入れると腕は上げっぱなしにして固定しなければならない。これが術後、麻酔が切れると大変な痛み(肩関節痛)となってかえってきた。切開あとの痛みどころではない。医者は肩の痛みなど関心がないようだが、すべての痛みのもとは肩だけなのである。湿布薬をもらって貼って、ひたすら肩をなでまわす。五十肩の痛みと同じかそれ以上である。

 肩の痛みがようやく収まってきた頃は便秘がやってきた。麻酔や咳止めの薬は腸の動きも弱らせるので、どうしても便秘になる。酸化マグネシウムが処方されているが、効くものではない。5日も経って娘よりずっと若い看護士にかき出してもらおうとしたが、うまくいかない。最後は浣腸である。これがやっと効いた。「10分がまんするんですよ」とかわいい看護士さんに言われて、トイレに入ったままがまんした。この看護士さんとは退院するとき、感謝の念を込めてしっかりと握手した。いつも思うのだが看護士さんのような職業の人たちのプロ根性にはいつも感嘆させられる。

 手術をした翌日、男の看護士さんが身体の隅々まで清拭してくれた。「いやあ、感心するね。えらいね」と言ったら、「いや、誰かがしなければならないことですから」と言ったあと「でも、いやいややってるんじゃないですよ」と笑いながら答えてくれた。失礼なことを言ったな、とあとで反省してしまった。

 ろくでもない話ばかりで恐縮だが、入院中の困りごとのひとつは不眠である。私はふだん便秘にも縁がないが、不眠にも悩まされることはない。しかし、入院中は何不自由ない代わりに運動不足のうえに点滴やら薬ばかり飲んでいるからどうしても夜眠れなくなる。秋でもあるし、こういうときはなぜか夜がすぐ来るし、9時には消灯である。入眠剤を頼めばくれるが、30分しか持たない。そのあとはよけい目が覚める。夜が明けるのをまって、朝食を食べて、薬を飲む。売店まで行って新聞を買ってきて読む。鎮痛剤が効いたところで少し眠れる。

【62】またやっちゃった [保育園送迎記]

 丸2ヶ月、ごぶさたしました。病気でした。5年生存率がどうのとかいうあの病気です。このブログを始めるときに書いたように、東日本大震災の年の3月1日に前回の手術を受け、その入院中の11日に大震災を迎えたのでありました。そしてその年の4月から、ヒトシの保育園送迎を始めたのでした。

 前回のときはごく初期のもので、このステージの5年生存率は85%でした。ですから切り取ればそれで完治と思ったんですな。医者もそう言った。実際、退院以降、2週間、1ヶ月、3ヶ月ごとと間隔を空けながら、術後の検査および診察を律儀に受け続けてきましたが、その間、怪しげな影は差さず、無事、丸5年目を今年2016年の3月に迎えました。

「これからはどうしますか。これで終わりにしますか。それとも半年にいっぺん検査を続けますか?」と主治医に言われたので、「では半年ごとに来ます」と答えたものでした。そして最初の半年後の9月5日のレントゲン写真に怪しげな影が映っているではありませんか。

 ああ、それからはまたしても検査の嵐です。まず3日後の8日にCTスキャン。翌週の15日に結果を聞きに行って、受付(機械です)をしたら、診察前に心電図と肺活量を測定せよとの指示が出ている。これはすでに手術を予定しての指示だ。主治医の診察では「CT画像もよくない。とにかく手術を前提に検査を進めましょう」とその場で、MRI、PET、生検(気管支鏡)を予約を入れられた。

 MRIは脳、PETは脳や肝臓をのぞく全身の転移の有無の検査だ。できちゃったものはしかたがない、ということはすぐに覚悟できるが、これがどこかややこしいところに転移しているとなれば、覚悟も猶予なしの深刻なものになる。さっそく帰って、前回の「もしもノート」と取り出してきて、最新版を作る。そして今回は妻や息子夫婦にも正確に説明し、もしものときは、必要と考えられることは全部ここに書いてあるのでこのとおりにせよと伝える。

 幸いにして(何が!)転移は見つからなかった。気管支鏡検査はやはりクロ。ただし非小細胞タイプということで、ほんの少しは神様のお恵みがあった感じ。ということで、10月18日入院、翌日19日手術とフィックスされてしまった。なにしろ、私の肺活量4000とかで、「これだけあれば十分手術はできます。1000あればできますから」などと安心させる(何が!)。前回は右上、今回は左上である。だが、その場所が悪い。上から下にまたがっている。「こういう場合、左の全摘が確実ですが、dairoさんの場合、前回のこともありますし」と悩ましいように言うので、「全摘は避けてください。20年後ならともかく、この年で車いすに乗って酸素ボンベを吸っているなどという姿は考えたくありません。それなら死んだほうがましです」と答えた。今でもほんとにそう思っている。

 18日、タックんを保育園に送って行ったあと、入院すべくタクシーを電話で呼ぼうとしたのだが、「30分くらいかかります」などと平日の午前中らしからぬことを言う。「この時間はお年寄りの通院が多いんです」などと言い訳をしている。「ちくしょうめ。1割負担のヒマ老人が」などと1人毒づく(ごめんなさい)。ふだんなら自宅から病院まで40分歩くところだが、今日は荷物がある。しょうがない、自転車で病院まで駆けて行った。「こんな病気で自転車で入院する人なんて考えられない」とあとで息子に笑われた(あきれられた)。

 そして手術の朝が来た。


19.親愛なる扇山と君恋温泉 [私の山歩き]

 奥多摩からちょっとだけ外れるが、中央線沿線の扇山というよく通った山がある。中央線終点の高尾から中央本線に乗り継いで、子仏トンネルを抜けると相模湖、藤野、上野原、四方津、梁川と続いて鳥沢駅に着く。鳥沢の先は日本三大奇橋のひとつとして有名な猿橋のある猿橋駅、その先が大月駅である。

 鳥沢駅で降りて、北方へ1時間ほど歩くと梨の木平という扇山のふもとに着く。大月カントリークラブという有名ゴルフ場がある。何度も通うようになってからはタクシーを使うようになり、近年ではバスが週末に運行するようになったのでそれを利用するようになった。そこから扇山山頂までは1時間20分ほどであるから、実にわかりやすい簡単な山である。

 梨の木平から1時間ほど登ると稜線に出る。大久保のコルという鞍部である。扇山は右へ向かう。左へ向かうと大久保山という小高い丘で、その先が百蔵山である。この百蔵山と扇山を縦走することが多いが、今回は扇山だけにしよう。20分ほどなだらかの丘を登るように山頂に近づく。山道は広く気持ちのいいシラビソなど針葉樹の林である。

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 山頂は広場のように広い。遮るもののない南西の空に富士山がそびえている。われわれはここでよく宴会のようなランチを催した。10回以上は登っている。ここから下山するのは犬目の宿である。犬目は甲州街道にある宿場町である。葛飾北斎の富岳三十六景(下)でも有名だ。いまは静かな静かな集落になっている。犬目を経て大野貯水池へと向かう。舗装道路でただひたすら歩くばかりだが、この大野貯水池は冬には多くの渡り鳥が羽根を休めている。さらに歩くと、JR四方津駅に着く。

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 これが普通のコースだが、扇山から犬目に下りないで、途中から右手に折れて、君恋温泉に寄ることが多くなった。君恋温泉の名前のいわれはまだ調べていないが、その名前ほどはロマンチックではない。しかし、実に実にありがたい温泉なのである。森を抜けた畑の中に立つ一軒宿だが見かけは普通の民家である。お湯だけなら500円で入れる。(今はどうか知らない。)ビールを頼むとこんにゃくのミソ田楽を出してくれる。このうまいこと。鉱泉の風呂は2つあるが、お客さんが少ないと1つだけ沸かして、男女が交互に入る。

 宿の前には桜並木があり、春の満開の時期に桜と富士山が桃源郷のような姿を見せてくれる。風呂に入り、酒が入れば、もう歩く気はなくなる。宿の人に頼んで鳥沢からタクシーを呼んでもらって、鳥沢駅へと戻ることになる。まあ、年に1回くらいならこういうぜいたくも良しとしようではないか。

 いつだったか、この宿にストックを忘れたことがあった。電話するとちゃんと取ってあったので、翌週末また1人で同じコースを歩いて、湯に入ってストックを受け取って帰ってきたこともあった。そのときは1人だから四方津まで歩いて、駅前でワンカップを買っていい気持ちで帰ってきた。こんな山歩きもしていたのである。

18.奥多摩 高水三山と本仁田山~入門の山、萩、蕎麦 [私の山歩き]

 奥多摩編も最後になったが、高水三山(たなみずさんざん、793m=岩茸石山)と本仁田山(ほにたやま、1224m)を忘れてはいけないな。奥多摩の入門として両方とも紹介されることが多い。青梅線で終点の奥多摩駅まで行かずに、手前の駅から登り始めることができるし、それなりの変化を楽しめる。

 高水三山は青梅線の軍畑(いくさばた)で下りて、しばらくは川沿いのアスファルト道を歩いて高源寺というお寺さんを過ぎて、堰堤を越えてから山道が始まる。杉の植林帯を登って行く。途中ベンチが置かれている幅の広いまっすぐな上り道がある。尾根道に出るとすぐに常福院という真言宗の古刹がある。この裏側に付けられた道を登ると高水山である。

 高水山から急降下して岩茸石山に登り返すことになる。もう20年ほども前だが、ここで数人の男性に呼び止められて、「この先で倒れた人がいます。急ごしらえの担架を作るのでベルトを貸してください」と頼まれた。すぐにベルトを抜いて渡した。それも含めて数本のベルトを2本の木の枝にわたして担架代わりにし、その人たちは心筋梗塞らしい急病人を常福院まで下ろして行った。われわれが岩茸石山で休んでいると、ヘリコプターの音が聞こえてきたので、病院まで搬送されたらしいとわかった。

 驚いたのは、病人を運んで行った人たちがわれわれのところまで戻ってきて、そのベルトを返してくれたことだ。倒れた急病人と同じパーティの人たちとばかり思っていたが、病人は単独行で、男性たちはただ通りかかっただけだった。私が病人の顔色を見たときは「たぶん危ないな」と思ったが、その人たちが言うには「わかりません。大丈夫だといいんですが」。翌日の新聞やテレビのニュースを見てもそれらしい記事は出ていなかったので、たぶん大事には至らなかったものと思われる。あの人たちは人命を救ったのである。あわてず的確な対応をするのは、そう誰にもできることではない。

 さて、この岩茸石山山頂にはきれいな萩の群落がある。初秋の萩の花はなんともいえず風情のあるものである。この山頂から黒山を経て棒ノ折まで2時間半ほどのコースがある。あんまり人は歩かないので、静かな雰囲気を堪能できる。余裕のあるときはおすすめだ。高水三山のあとひとつの山は惣岳山だ。きれいな植林の間のきれいな道を歩く。惣岳山には青渭(あおい)神社奥の院というお宮さんがある。ふもとの沢井に里宮があるそうだ。このすぐ下に真名井の井戸という水場が祀ってある。青渭神は水神様のようだ。

 ここから御岳駅まで下るのだが1時間とちょっとかかる。御岳駅の裏側というか山側に玉川屋という老舗のそば屋さんがある。風情のある茅葺きの店で、そばとビールで疲れた脚を休めるには最適だ。ただし、休日などは満員で、とても落ち着いてゆっくりしていられないというのが難点ではあるが。

 青梅線を御岳駅からさらに3駅奥多摩駅方面に上ると鳩ノ巣駅に着く。ここは川苔山から下ってきたときに着いた駅だ。ここから舗装された道を大根ノ山ノ神という祠あるところまで登ると、川苔山への分岐に出る。ここを左に登る。ここらあたりもいつの間にか白けた林道が付いた。その林道を左に分けてぐんぐん登るとコブタカ山という壁のような頂に出る。ここまでくればあとは快適な山歩きが楽しめる。

 いつだったか会社の仲間と積雪期に登ったことがある。誰も歩いていない真っ白な雪道をラッセルしながら登るのは実に気持ちが良かった。ただ、バテて倒れそうになった人間が一人出てあわててしまったが。積雪がなければいつ歩いてもほんとに気持ちのいい散歩が楽しめる。山頂からはきれいな富士山が望める。

 下りは急坂を転げるように下りる。安寺沢という多摩川の支流に出たら、あとは奥多摩駅に向けてアスファルト道をひたすら下りるだけである。

17.奥多摩 棒ノ折山〜沢登り、温泉、雹 [私の山歩き]

 奥多摩で何度も通った山と言えば、棒ノ折(969m 棒ノ嶺)を外すわけにはいかない。変な名前だが、例によって弘法大師にまつわる由来のある名前らしい。青梅線の川井駅から奥茶屋まであるいてキャンプ場を抜けてワサビ田を縫って登りにかかるコースを最初選んだが、このコースは面白くない。キャンプ場までやたら歩くし、ワサビ田には有刺鉄線が巡らしてあったりで、あんまり気分よくない。頂上下の登り道も杉林の中を階段状の道がついていて、興趣をそがれる。
 
 ただし! 獅子口屋(ししぐちや)のわさび漬けは安くてうまい。高尾山口の駅の売店などで売っているが、行くたびにいくつも買っている。実サンショウもキャラブキもご飯のおかずに最適(でも、昔に比べると値段の割に量が少なくなってきた)。いつか、ここのワサビ田から川井駅に歩いている途中で、獅子口屋の工場を見つけて、「ここにあったのか!」と大発見した気分になった。

 棒ノ折に登るなら、埼玉県側の名栗湖畔から白谷沢を登るコースが面白いことに気づいて、ここから何度も登ることになった。複数人のグループで西武線飯能駅からタクシーを利用して名栗湖までいき、さらに有間ダム(みごとなロックフィルダム)を渡り、湖畔をさかのぼって白谷沢登山口で下りる。料金はかさむが4人で割り勘すればそんなに負担にはならない。タクシードライバーもとても喜ぶ。

 白谷沢に付けられた登山道を渓流にそってスリルも味わいながら登る。ほとんど沢登り気分が味わえる。1時間20分ほどで沢登りは終わり、いつのころからか付けられたスーパー林道にパカッと出る。これだ。腹が立つのは。林業のみならず生活や観光にも使えるということで、あちこちでこのスーパー林道というのができた。本当に役立つのなら多少の自然破壊も許容できるが、そうは思えない。作っただけで、山腹に付けられた白々しい道だけが長々とくねっているだけなのだ。もちろん利用している人はいるだろうから決めつけはよくないが、見る限りは無駄な公共投資としか思えないのだ。

 さて、その白けた林道を渡ると、急な上り道にかかる。登りきると岩茸石という大きな岩のある尾根に出る。この岩は登れる。あるとき、ちょっと失礼してこの岩陰で小用を足していたら、若い女性のグループが通りかかってあたふたしたことがあった。その節は失礼しました。

 この岩から森の中の上り道に入る。急な階段状の坂を登ると、権次入峠(ごんじりとうげ)という平場に出る。ベンチもあって休憩ができる。ここを右へ折れて25分ほどで棒ノ折山の山頂に着く。この道は緩やかで幅の広い上り道なのだが、土留めのために階段状に道が作ってあり、これがけっこう脚にくる。山頂も広々とした広場になっている。野球だってできそうだ。昔は茅を刈る茅場だったそうだ。山頂にはテーブルとベンチがいくつかあり、ゆっくりと宴会もできる。天気がよければ北方に上州や日光の山々も望めて、まことに気持ちがいい。

 さて下りは先ほどの権次入峠から右に入り黒山から岩茸石山へと縦走し、惣岳山から御岳駅へと下りるコースがとても充実している。静かな山歩きが堪能できるが、われわれは横着して、権次入峠からさらに岩茸石に戻って、右に下って名栗温泉へと向かうのが常だった。ここの大松閣という老舗の温泉宿の日帰り湯に入るのだ。湯上がりはむろんビールで乾杯だ。これがあるから山歩きはやめられない。

 あるとき、これは初夏だったが、ここからバス停に向かう途中で凄まじい雹(ひょう)に降られたことがある。直径1〜2センチくらいの雹がバラバラバラと、走って駆け込んだバス停の屋根をたたく。あれはこわかった。

 

 


 

16.奥多摩 大岳山〜シロヤシオ、森の中、わき水 [私の山歩き]

 大岳山(1266m)は、特徴のある山の形をしており、中央線の電車の中からなどすぐにわかる。山頂ばぷっくり盛り上がっており、まわりの山からその大きな頭を突き出している。いくつかのコースがあるが、一番なじみがあるのは青梅線御岳駅からバスで滝本までいき、ケーブルカーで御岳山まで登って、宿坊が並ぶ参道を歩いて、御嶽神社にお参りしてから登山道に入る(お参りしなくても手前から登山道に入れるが)。この両側に土産物屋が並ぶ参道がけっこうきついのである。

 歩いてすぐの左側に長尾平と呼ぶ広場みたいなスポットがある。さらにすぐ左側に下る道があって、ロックガーデンと呼ぶ沢沿いの谷間の道に出る。ここを歩いてもいいし、谷間の上の道を歩いてもいい。さらに右側の尾根道の方へ登れば、奥の院から鍋割山へ辿れる。この道は人があまり通らないのでとても静かだ。この三つの道がこの先の芥場峠で合流する。この辺から道は急になり、崖にそった道も続くようになる。やがて左手に大岳山荘の屋根が見えてくる。

 2人の子供たちが小さかった頃、奥多摩駅から鋸尾根を伝って、鋸山から大岳山に登り、この大岳山荘に家族4人で1泊したことがある。自炊だがけっこう人も多かった。今はどうだろうか?(どうも営業してないらしい)。 大岳山荘のすぐそばに大岳神社があり、ここから山頂まで、急な岩場の登りがある。ここが遠くから見える特徴的な出っ張りである。20分ほどで山頂に出る。晴れていれば西の空に富士山がくっきりと見えて、じつにきれいだ。また、山頂付近の森には初夏には優雅で気品のあるアカヤシオ、シロヤシオが咲いている。

 山頂から西側のほうへ下りれば鋸山方面への道だ。登ってきた道を下りて、大岳山荘から山頂を左回りにまいて、富士見台へと森の中を歩く。この道が気に入っていることは前にも述べた。とくに初夏や初秋の雨降りのときなどがとても好きだ。寒くなく風もない。ウツギやヤマブキ、ハギなどの花が咲いているとなおいい。

 富士見台からは鶴脚山、馬頭刈山と暗い森の中のきついアップダウンが続く。ふもとに近づくと高明神社と言うお宮さんがあるが、ここはしばらく火災で焼け跡が残っているだけだった。最後に行ったのはもう15年以上は前になるので、今は再建されているかもしれない。やがて、林道に出たら、左手に少し登ったところにわき水があり、ここでいつもタンクに水を詰め込んで帰ったものだ。これを冷やして飲めばじつにうまかった。コーヒーも焼酎も。さらにくだると軍道という集落に出る。ここで武蔵五日市行きのバスを待つことになる。

 このコースはかなり長くてきついが、昔からとても好きで1人で何度歩いただろうか。いつだったか、軍道のバス停でくたばって座っていたら、通りかかった車が武蔵五日市の駅まで乗せてくれたことがある。若い中学校の先生だった。「えっ、そんなに歩いてきたの?」って驚いていた。こういう親切はいつまでたっても忘れない。いい思い出である。

15.奥多摩 鷹ノ巣山〜富士山、防火帯、石尾根 [私の山歩き]

 以前、石尾根の下り道のことを書いたが、尾根の中程にあるのが鷹ノ巣山(たかのすやま、1737m)だ。この山へ日原から登るコースがある。雲取山に登るコースとしても利用されている。奥多摩駅からバスに乗り、川乗橋を過ぎて、日原鍾乳洞の手前の東日原で下りて、少し歩いた先の民家の間を抜けて、日原川の河原へ下りる。巳ノ戸橋を渡って、大きな岩がごろごろしている間を縫うようにして登り始める。

 やがて道は巳ノ戸沢を右岸に渡って稲村岩という巨岩に向かってジグザグに登る。この岩村岩までが歩き始めて1時間くらい。ここからさらに山頂までひたすら登るばかり。稲村岩尾根と呼ぶこのコースは相当きつい。歩くこと1時間半くらいでちょっとした平坦な場所につく。ヒルメシクイノタワという名前がついている。ここでちょうど昼飯どきになるということか。
 
 ここから30分くらいで山頂だ。山頂とはいえ、鷹ノ巣山は長い石尾根の真ん中あたりに盛り上がった突起である。右に向かえば七ツ石山から雲取山へさらに高度を上げる。こちらは1泊コースなので、われわれはここで昼食をとって、左へ下ることにする。鷹ノ巣山のすばらしいところはなんといっても、急坂を登ってきて山頂に出たときの遮るもののない広大な長めだ。富士山が真正面にそびえている。無風晴天の秋から冬が一番いい。

 私はコッヘルとガスコンロをいつも携帯して、前日に用意した食材で、独特のうどん鍋を作る。生うどん、豚肉、野菜・キノコ類をミソ仕立てやカレールーで煮る。担ぐのは難儀だが、作って食べるのは楽しみである。同行のメンバーもおいしいといって食べてくれる。何年か前の冬の日、妻と二人で鷹ノ巣山に登って、昼食にこのうどん鍋を作って、いざよそって食べようとしたとき、後ろ側に倒れ込むように体のバランスを崩した。そのとき、鍋をひっくりかえして、せっかくのごちそうをそこらにぶちまけてしまった。こういうことはたまにあるものである。山で料理したりするときは、よほどしっかり調理器具を安定させておかなければならない。この日は昼食抜きで下山することになった。とほほ、である。

 鷹ノ巣山の山頂から奥多摩駅方面に石尾根を下る道は、防火帯といって、山火事が延焼しないようにわざと、尾根付近の樹木を取り払ってある。だから、見晴らしもよく歩いていてとても気持ちがいい。春などはゼンマイがあちこちに生えていて、いっぱい収穫したこともある。鷹巣山など山頂をつなぐこの防火帯の道とは別に、山頂を通らない山腹の道が付いていて、疲れたときなどはこの巻き道を歩くと楽だ。

 ちなみに、雲取山から石尾根を下るとき、七ツ石山があって、七ツ石小屋というとても雰囲気のある(というかなんともいいようがないさみしげな)山小屋がある。いまもあるのかしらん? また鷹ノ巣山から下ると、六つ石山がある。こちらはコースから少し戻り気味に登るので、疲れているときはスルーしてしまいがちだが、ここがまたなんいもない、ただのピークだが、なんにもないだけ、静かでとても見晴らしがいい。