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【88】豪雨と猛暑と [保育園送迎記]

 1年前の九州北部豪雨とまったく同じ時期に起こった西日本豪雨。今年は被害がそれをはるかに上回っている。なんということだ。戦後まだ国土が荒れていた時代の台風ならいざ知らず、戦後70余年経って、これほどの人命が失われ、甚大な被害が出ようとは。住み慣れた家にいて老夫婦が溺死するなどということがなぜ起こる? 

 豪雨が過ぎたら、次に襲いかかってきたのが猛暑だ。これまで熊谷、館林、日田といった内陸部の暑さと思っていたものが日本中を襲っているようだ。その内陸部はさらに気温が上がっている。私なんぞはもうがまんなどしない。エアコンつけて部屋に閉じこもっている。こんな調子であと2ヵ月くらい過ごすことになるのだろうか。

 先週末の土日は毎年恒例の団地の夏祭りだった。孫たちは朝からうれしそうに遊び回っている。輪投げの特賞が当たったと言って、ヒトシは得意そうだ。その特賞の水鉄砲をかかえてタックンは泥だらけ。暑さの中で飛び回る子供を見るのはいいものだが、熱中症で命までなくすというのでは暑さも限度を超えている。ヨーロッパなど大陸諸国で熱波が襲い、お年寄りが倒れて多くの命が奪われるといったニュースはこれまでにもあったが、大陸でもない海洋国の日本でもそういうことが起きようとしている。地球温暖化の影響が、これまでになかった豪雨や高温をもたらしているのか。

 若い頃、夏休みに北アルプスなどに行っていた頃は「今年は、高温で晴れの天気が続く暑い夏になりそうです」などという予報が出るとうれしくなって、梅雨明け十日などによく出かけたものである。実際、暑いには暑いが、よく晴れて、空は黒いほどの青空で快適な山歩きが楽しめた。そんなことももう昔話で、絶対に無理な身体になってしまったが、そうでなくてもこのごろのような猛暑だと、山歩きも危険なのではないか。それともまだ都会を離れて高い山に登れば、日中の澄んで乾いた空気と朝夕の冷気、そして満開のお花畑が楽しめるのだろうか? もうそれを確かめることもできなくなった。

  
 
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【87】ねずみさんのながいパン [保育園送迎記]

「おっ、ひょっとしたら、勝つ?」。今朝のベルギー戦の後半の序盤くらいまでに2点入って、そう思った人もとても多かったと思う。私もそう思ったし、でもまだ、後半、たっぷり時間あるしなあ。山本さんも「安心のあと1点!」と言っていた。だれしもそう思うわな。でもやっぱりな。そうは問屋が卸さない。負けたというより力つきたんだろう。やはり「あと5センチとあと5キロと時速5キロ増し」が欲しかった。川島君でなくても防げんわな。でもまあ、これであと決勝戦まで鑑賞者の気分でじっくり観れますね。ブラジル×ベルギー戦など楽しみですね。

 最近は、タックンとレンを保育園に連れて行って、ちょっとの間だが、広間にある本棚から童話を選ばせて、レンに読み聞かせている。タックンもそうだったが、レンも毎朝同じ本を選んでくる「ねずみさんのながいパン」(多田ヒロシ著、下)とかいう絵本だ。途中、ゾウ、キリン、ライオン、ウサギなどの家族の食事風景をのぞきながら、(ネコの家は避けて)、ネズミが自分の家族にパンを持ち帰って食事をするという、それだけの筋だが、なぜかこれがレンのお気に入りである。もう今日で10日めくらいである。

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 レンは男2人の兄に鍛えられているせいか、なかなか気が強い。気が強くていっこうにかまわないんだが。気の弱い子などにその強気をぶつけたりしてはいないかと少々気がかりなことがあったので、こういうことをやってみようという気になったのだ。家に帰っても兄2人に影響されて、元気のいい(乱暴とも言える)アニメばかり見ている。クルマで帰るとき、走行中にチャイルドシートのベルトを外して降りたことがあった。このときばかりは大声で叱ったが、「わかったよ」などとどこで聞き覚えてきたかわからないが信じがたいような返答をした。たぶん兄2人の言い草をまねたのだろう。2歳半の女の子とは思えない言葉遣いである。(男の子でも同じではありますが。はい、わかってます)

 このレンが卒園して小学生となるまであと4年である。果たしてそれまで私の身体がもつのか? いまでも保育園の階段を上るのさえ難儀である。低い位置にある子供たちのロッカーに衣類などを出し入れするのがきつくてたまらない。つい廊下に座り込んだりして、呼吸を整えている。かっこわるいがしょうがない。いつも気遣って声をかけてくれる時間外の保母さんが最近見えない。どうしたんだろう。

 昨日は、以前通っていた平井の整体工房に行って、息苦しさやだるさの症状の改善ができればと施術をお願いした。しばらくぶりでも整体師さんは気持ちよく対応してくれて、気分がずいぶんとよくなった。最初に通ったのはまだ現役の編集者のときで、首から肩、背中と凝り固まってがまんができなくなって、総武線の電車の窓から見えたその整体院に飛び込んだものだった。もう10年も前のことになるか。しばらくまた通ってみよう。

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【86】炎天下のジャガイモ掘り [保育園送迎記]

 さてさて暑熱の日々が始まりました。7月いっぱいくらいはしとしと梅雨寒のうっとうしい天気が続いてほしかったのですが、なげいてもしょうがない。それに私のような望みを持つ人は少ないでしょうな。暑いのはきつい。寒いのもきつい。夏と冬の狭間がいい。梅雨も秋雨もからだにはやさしいのだ。

 ワールドカップもあの時間帯では生放送は見ることができず、朝一番にラジオを付けて結果を知るばかりだ。かろうじて初戦のコロンビア戦だけは前半のみTV観戦して寝た。朝起きて勝ったと知ったときは「ほう。やったな」と思い、その日は気分よく過ごすことができた。セネガル戦の引き分けも「やったな。えらいぞ」と思った。問題のポーランド戦はその闘い方も含めて「やったな。いいぞ。それで100%いいんだ」と思った。問題は3日のベルギー戦だ。これも朝起きたら「やるじゃん!」となっていればいいのだが。(いつ見ても長友のがんばりにはほれぼれしますね。それに柴崎のふてぶてしさはいいなあ。)

 昨日の炎天の土曜日、わが猫額畑で孫たちとジャガイモ掘りをやった。収穫時期はもう少し早かったのだが、ちょうど雨続きで濡れた土から掘り出すことはできないので、天気が回復し、土が乾くのを待ったのだ。かわいい孫たちが虫さされでもしたらいけないと、蚊取り線香と虫除けスプレーを用意して、軍手を付けさせてやりました。収穫が遅くなったせいか虫食いも少しあったが、子供たちも喜んで土掘りをやった。

 タックンはもう1週間も前から楽しみだったらしく、毎日のように「あといくつ寝るとジャガイモ掘りやる?」と聞いてくる。おかげでこの暑さにもかかわらず、喜ぶまいことか。ただ、長時間の炎天下はこたえるので、30分ほどで掘り終えて、帰った。ジャガイモはビニール袋に4つ小分けしていたのだが、ひとつはちょうどきていた娘にあげたのだが、子供たちが帰ったあと、ひとつも残っていない。子供たちがみんなもって帰ったらしい。「そんなに楽しみにしてくれるならまた来年もつくってあげるからな。おじいちゃんが元気なら」

 ジャガイモは終わったが、ミニカボチャが5個ほど実を大きくしている(下写真)。花が咲きだしてからは、毎朝授粉をしに畑に通った。花が咲いていても雄花ばかりだったりして、うまくできる日は少なかったが、受粉した雌花は全部実を大きくしているようだ。たった一株の苗を植えただけだが、これくらいでいいようだな。とにかくカボチャはやたら伸びるのだ。素人には手に余る。里芋の葉っぱも大きくなってきて、ゴーヤも並んで大きくなっている。

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【85】雨の日は身体がラクだ [保育園送迎記]

 間倒置法(どうしたらこんな言葉に変換されるのか? 感心してしまう。関東地方)も梅雨に入って1週間。今日なぞは梅雨寒で寒いくらい。しかし、大雨にでもならない限り梅雨時の雨は好きである。暑くも寒くもなく、降る雨を見たり雨音を聴くのはいいものである。新緑茂る森の中などだとさらにいい。

 先月の最終土曜日はヒトシの小学校の運動会だった。高度成長時代に建てられた大規模公団住宅の中の小学校、中学校ともに生徒数は少なくなったので、中学校と合同の運動会である。運動会とは言わず「スポーツデイ」とプログラムには書いてある。「運動会」では具合の悪いことがあるのだろうか。

 ヒトシは今年はリレーの選手には選ばれなかったようで、悔しかったのだろう。3年のかけっこではがぜん張り切って、1等賞を取った。「スタートしたら一番インコースめがけて斜め内側に向けて走れ。そして思い切り腕を振れ」と言い聞かせていたら、それを守って走って結果を出した。なかなかいいフォームで走っていた。おかげで翌週の月曜日の代休日は、アマゾンでベイブレードを買わされたり、スーパー銭湯につきあわされたりした。ま、約束だからな。

 連休前に苗を植えたカボチャの花が咲きだした。毎朝、畑に行って雄花雌花が咲いていれば授粉する。せっかく雌花が咲いても受粉できなければ、小さな実は小さいまま落ちてしまう。すでにいくつか実が大きくなりかけている。ゴーヤとオクラは種を直播きしたが、芽を出し、間引きし、成長しつつある。里芋も元気に茎を伸ばし始めた。大きく葉を広げた里芋の畑が昔から好きだった。小さな猫額畑だが、満足に呼吸もできない体調で休み休みやってきた。でもちゃんと育ってくれるものである。晴れた日が続いて畑が乾いたら、孫たちと一緒にジャガイモ掘りをしよう。 

 4月末くらいから倦怠感と息切れ、立ちくらみがひどくなっている。座っていて立ち上がるだけで、立ちくらみがあるし、そもそも立ち上がるだけでも難儀である。良くなるどころか元に戻っている。だが、どういう塩梅か、雨がしとしと降るような湿り気のある日だと身体がラクなのである。呼吸がしやすくなるのだろう。こうやってあとどのくらいの年月か、と思う今日この頃である。
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【84】新緑が風にそよぐ季節の中で [保育園送迎記]

 春爛漫も過ぎて、新緑の季節に入りつつある。ケヤキの新緑がわけてもさわやかである。毎朝ラジオ体操で通う団地内の公園にはオオシマザクラやヤマザクラが満開で見ほれるほどだったが、いまはケヤキやクスノキの緑が風にそよいでいる。ツバメも飛び交うようになった。河瀬直美の映画にはこの風にそよぐ緑の木々がよく出てくる。ああこの人も好きなんだといつも思う。先日も録画した「あん」を観ていたら、ストーリーに関係なく、しかし、観るもののこころにしみいるような風にそよぐ緑の木々がよく出てきた。「萌の朱雀」以来、よく観るシーンだ。緑深い森がスローで大きく揺れる。観ている人間の心もざわざわと揺れる。ちなみに樹木希林演じる主人公は、桜の木や空にかかる月、そして煮え立つ小豆とも会話する。この女優さんはもう女優さん以上の存在だな。

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 さて、新学期も始まって、孫の長男坊のヒトシは3年生である。新学期の始まりは帰ってくるのが早い。午前中に帰ってくるのが3日ほど続いたので、私が1人のときは、ヒトシの好きなオムライスやチャーハンを作って2人で食べる。作ると言っても、レトルトご飯をチンしてあとはクックパッドで調べた一番簡単そうなレシピをなぞるだけである。でもこれでもけっこううまいのである。偏食の激しい(野菜が嫌い、肉と魚も一切れしか食べない)ヒトシでも、人参やらピーマンを刻んで混ぜ込んでおけばよく食べる。(レトルトの加工食品は山に行くときよく使ってきたのでなじみであるが、けっこううまいのね、これが。)

 と穏やかな日々のようではあるが、先月末から心穏やかでない数週間を過ごすこととなった。今年最初の3月の定期のレントゲン検査で、怪しい白い影が左肺一面に出てしまった。知らないうちに軽い肺炎にかかったあとかもしれないし、もっとこわいことが起こっているのかもしれない。血液検査の数値は「きれいですよ」と言われたが。翌月4月に、またCTを撮ることになった。心配ではあるが、いつもの「心配してもしようがない」とう気持ちがその気持ちを消そうとする。たとえ再発でも、もう手術や抗がん剤はこりごりだ。

 そのCT撮影がこの6日で、結果が12日の診察で示された。造影剤入りのCTというのは翌日がとてもきつい。だるさや立ちくらみがひどくて、歯を磨く短い時間も立っているのが耐えられないほどだ。「そういう症状が出たらすぐにご連絡ください」などといつももらう注意書きに書いてあるが、以前、あまりのきつさと息苦しさで真夜中に電話したら、「がまんできないほどでしたら、ご自分でおいでください」などと言う。行けば行ったで、緊急外来で死ぬほど待たされる。待たされた末にレントゲンを撮りましょうなどと、新米の若造医者が言う。ばかばかしいったらありゃしない。

 脱線した。12日の診察では最悪の結果も覚悟したのだが、「再発ではないようです。手術と合併症の治りが思わしくなく、左肺が崩れかけているようです。こういうことは起こりえます。そのうち右片肺だけになるかもしれません。ただかえってそのほうが今より楽になるかもしれません」と言われた。手術のときの難しい切除の結果だと思う。そのため胸膜炎と思われる合併症も起きた。術後の抗がん剤も白血球数が戻らず、あわや死に至るような重大な副作用を起こすところだった。

 これは手術のとき「全摘だけはいやだ」と外科医に頼んだことから発しているのだと思う。今回の主治医の説明も私の日々の実感からすればよくわかる。むしろそれを聞いて安心したくらいだ。あと何年生きられるかわからないが、とりあえずは心穏やかな日々が戻ってきたのだ。ただ、左肺がおシャカになったとしても、右肺の上葉はすでにない。これでどれくらいもつのだろうか、などと考えてもしょうがないから、日々を噛み締めながら送るほかはない。

 今日もタックンとレンは朝からにぎやかだ。保育園にも楽しそうに通っている。レンが小学校に上がるまであと4年か。はて、それまで私はこうやって生きているのだろうか。そこまででいいからと、いつも願っている。(吉高の大桜)

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【83】春先の花の盛り [保育園送迎記]

 毎朝、タカシが通勤途上にタックンとレンを連れてくる。2人は20〜30分くらいわが家にいて、Eテレで「はなかっぱ」なんぞを見ながら、時間を過ごす。それから私が保育園に送って行く。クルマに2人を乗せて保育園に向かうと、「アンパンマン」の歌などを2人で合唱してくれる。あの高尚な歌だ。しばらく歌ってたかと思うと急に静かになる。2人とも眠り込んでいるのだ。この間15分くらいのものである。保育園についてから起こすのが一苦労。タックンは力を入れて何度もヒザをたたかなければ起きない。レンはだっこして保育園に入っても、靴箱の前の板張りで寝ている。(↓よく手入れされたツバキ)

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 しかたなくレンを抱きかかえて、控え室(着替え服用のロッカーとかあるところ)へ連れて行く。降ろしてもそのまま崩れて、廊下だろうとどこだろうと眠ってしまうから、なんとも始末に悪い。しばらく寝かせておいて、「おてて洗いなさい」と何度も呼びかけると、むくっと起きて、洗面台に手洗いに行く。(保育園に着いたら手洗いをすることになっているのだ。)手洗いが終わると、用意してあげたハンドタオルを引っ掴み、手を拭いてから、そのタオルをぶら下げて、ほとんど走るようにして保育室の中へと駆け込む。いつもやさしい保母さんに抱きついていく。(↓もう花開いたハクモクレン)

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 先日は朝から雨だったが、お気に入りの長靴を履き、これもお気に入りの傘とバッグ(ミッキーマウスのDVDを入れている)を携えて、すっかりお嬢様のお出かけの気分である。さしずめ私は送り迎えのじいやになってしまった。夕方迎えに行くと、夢中になって遊んでいるから、しばらく入り口のところで眺めていると、保母さんがレンに向かって「ほら」といって、私の方を指差す。レンは振り返って私がいるのを認めると、ぱっと満面笑顔になって走りよってくる。抱き上げてやると、保母さんたちにバイバイする。(↓近くの公園の河津桜)

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 思えば、ヒトシもタックンもこういうかわいくてしょうがないような時期があった。しかし成長につれてこういう邪気のない振る舞いは次第になくなっていった。ヒトシなどは一時期、迎えに行くと、いやがって物陰に隠れるようになった。まだ友達が遊んでいるのに自分だけ帰るのがいやだったのだろう。これも成長のあかしかもしれない。「じゃあ、おじいちゃんは帰るからね。またあとで迎えにくるから、それまで遊んでなさい」と突き放すと、泣き出したりするから、かわいいものではあるが。(↓梅の花も見納め)

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 そのヒトシも小学2年生である。3人のうちで一番付き合いが長い(一番先に生まれたから当たり前であるが)からか、しょっちゅう1人で遊びにくる。1人だと、パソコンもテレビも弟や妹と争うことなく気ままに自分の好きなように扱えるからであろうが。昨日は、畑に連れて行って、肥料まきや畝作りの手伝いをさせた。手伝いといっても勝手に遊んでいるだけだが。「今日はよく働いたから、銭湯に行くか」と2人でいつものスーパー銭湯へ行く。だんだん春めいてきた。梅もアンズも花盛りである。(↓近くの道脇のアンズ/↓↓私が畑で育てたスイセン)

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【82】小平選手と高木選手を見分けられるようになった [保育園送迎記]

 少しだけ暖かくなったと思ったら、またしても寒さが戻ってきた。北国では冬の嵐が吹き荒れている。散歩をしても寒風が肌を刺す日は、家にいるしかない。冬季オリンピックもたけなわで、男子フィギュアでは日本勢が金銀とめでたい結果となった。昔はそんなことはなかったが、こういうメダルが有望種目などを見ようとすると、緊張してドキドキするようになった。何も私が応援したからといってどうなるものでもないが、なぜだろう。サッカーの国際試合の公式戦などでも、1点差で勝っている終盤などはもうドキドキのしっぱなしだ。
 
 メダル候補のスピードスケートの女子有望選手でもそうだが、選手本人は落ち着き払って堂々としている。本番でも自分の実力どおりの結果を出している。その上を行く選手がいたとしても、それはやはりそれだけの力をそなえた実力の持ち主のようで、ことさら日本選手が本番に弱いということはないようだ。(上には上がいるのだ。)自己記録にも届かないようなふがいない結果を出す選手など見なくなった。スポーツの世界もグローバリズムで、ワールドカップなどふだんから世界中を転戦しているし、オリンピックでも寄せられる期待値(と大いなる経済的価値)が違ってくるだけで、競う相手はいつも同じなのだ。

 カーリングが見ていて面白い。あれには審判がいるのだろうが、表というかテレビ画面には出てこない。まだハウスのなかを通過しているのに、ハウスから出るような勢いだと敵方のストーンであっても平気で外に足で放り出す。また敵方のストーンであってもせっせとスイープして中心から遠ざけたり、ハウスから出そうとする。敵味方入り乱れてストーンの隙間を歩き回るので、足がストーンに当たって動くのではないかとも思うが、みんな平気である。アメリカのハミルトン選手がマリオそっくりだと人気だが、日本のスキップ両角と仲良しなのだそうだ。こういうところもなんだかおもしろい。
http://japanese.engadget.com/2018/02/09/twitter/

孫の次男タックンがフィギュアスケートの宇野選手に似ていると保育園で評判なのだそうだ。そういえば似ている。最近は「ショウマくん』と呼んでいる。呼ばれるとまんざらでもないらしい。照れたような顔をしている。宇野選手もクールだ。「銀メダルを誰にかけてあげたいですか」とお定まりの質問を受けると「かけたい人は誰でもいいんじゃないですか」と答える。こういうくだらない質問をするほうが悪いのだ。こういう人情っぽい話がみんな好きだとまだ思っている聞き手が進歩してないのだ。スノートボードの平野選手もとびきりクールだ。いいねえ。

 さてさて、テレビばっかり見てるわけにもいかない。仕事もせねば、と思っていたら、小平選手の金メダルだ。最近やっと小平選手と高木選手の見分けがついてきた。よく見れば違うのだが、最初は区別がつかなかった。2人とも実にチャーミングな女性だ。あんたたちはエライ!



 

 
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【81】春へのあこがれ [保育園送迎記]

 寒い日が続く。北陸地方のドカ雪はわれわれ関東地方に住む人間の想像を絶するもののようだ。一日も早い春の訪れを今年ほど願う年はない。病を持つ身にはとりわけ切実に感じられる。春夏秋冬と四季の巡りは豊かな自然と感情の心地よい振幅をもたらしてくれるが、近年は夏の暑さと冬の寒さが極端に振れるようになっているのではないか。四季の移ろいを味わうゆとりも次第に削られていってしまうのではないかとさえ思う。

 週に一回は都内に出て、仕掛かりの企画の著者との打ち合わせなどをやるのだが、これが疲れる。そして、せっかく企画段階から手がけてきた原稿が上がってきても、これを商品化するための労力に自信がなくなってきた。一人親方なので、誰にも助力を頼めない。今はメールを利用して原稿や図版などのやり取りもできるし、製作にかかってからも、ゲラをPDFデータでやりとりすれば、居ながらにして仕事を進行させることができる。

 できるのだが、著者、DTPオペレーター、版元編集者などとのやり取りはけっこう体力と神経をを使う。私は35年も版元で仕事をしていたからわかるのだが、見本日、発行日を守って、書店に新刊本を届けるのは編集者のもっとも大切なつとめだ。だが、どんなに余裕を持った日程でも、最後はいつもギリギリの仕事になる。これが体力と気力を消耗させる。病気以前だったらなんとかこなせいたものが、次第にできなくなりつつある。

 年末からかかっていた請負仕事が終わってから、時間に追われないですむ日々が戻ってきた。買いためていた本を読むばかりの日が続く。書評などで気になっていた小説『光の犬』(松家仁之著)を読んだ。ストーリーで読ませるものでもないし、ちまちまとした私小説とも違う。作者の体験が元になっているのであろうが、それはあくまでも作品の原材料であって、書き手の感情や感覚がそのまま文章と化して、読者の感情や感覚とぴったり重なって強く引き付ける。

 主人公である姉弟の姉が30代の若さで、大腿部肉腫が肺、脳と転移したがんを患い、悲しい最期を迎える。臨終の床で、プロテスタントの牧師にカトリックの秘跡である「病者の塗油」(「終油の秘蹟」)を施してもらう場面がある。この姉と牧師は今は東京と北海道に別れて住んでいるが、幼なじみである。

「いまわたしを救ってくれるものは、ことばではない気がします。……いまはただ、両手を組んで祈るとか、誰かがわたしの肩に触れながら祈ってくれるとか、そういうことばかりが浮かびます。……これまでほんとにありがとう。いつか予想もできないところで再会できたら、またお話ししたいです。さようなら」

 考えの違う人や他国を責め立てる乱暴な主張の本ばかりが目立つなかで、きちんとした文章を書く人がやっぱりちゃんといるんだね。本屋さんに行って、棚を見て回れば、フィクション、ノンフィクションを問わず、テーマ、文章、装丁、デザインなども質が高い本がいくらも見つかる。書き手にも作り手にもやはり確かな才能はちゃんといることがわかる。そういう仕事を今からでも手がけられることができたら幸せだな。

 わが家の孫3兄妹はインフルエンザにも学級閉鎖にも負けずに小学校や保育園に通っている。明日あたりから暖かい日もめぐってくるようだ。行きつ戻りつして春がやってくるのだろう。暑さも寒さもそれが過ぎてしまえば、なぜかしら惜しむような気になるのが不思議だ。

 


 
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【80】雪の日のベトナム行きと保育園送り [保育園送迎記]

 今年の冬はいつもより寒さがきびしいようだ。前に何度も書いたが、私は病気のせいでとくに寒さがこたえるのだろうと思っていたが、やはり寒いのだそうだ。病気をする以前だったら、寒くても、よく山に出かけたものだ。といっても奥多摩とか中央線沿線だから、本格的な冬山というわけではない。積もっても20、30センチくらい。冬晴れの日を選んでいく。関東の冬晴れの、空気が澄んで、空が真っ青で、無風の日がいい。こんな日は一年中でも一番の日だ。

 そんなことを考えていたらほんとに雪が降ってきた。昨日の午後から降り出して、夜にはすでに10センチほども積もっていた。昨日は、タカシがベトナム出張だというので、成田往きの特急が停まる新鎌ケ谷の駅までクルマで送って行った。雪は止みそうもないので、そのまま保育園に2人のチビたちを迎えに行くことにした。まだ3時過ぎだった。

 送りながらタカシとベトナムの話をしたら、歴史の流れがつかめないらしい。「サイゴンがホーチミン市に変わったの? フランスの植民地のあとアメリカが入ってきてベトナム戦争が始まったの?」
仏領インドシナ、日本軍進駐、ホーチミンによる共産革命、米ソ冷戦、ベトナム戦争、カンボジア紛争、中越戦争……こういった歴史を一通り話したが、果たして頭に入ったか? 以前に開高健『輝ける闇』を勧めたら買って読んでいたが。

 タカシの会社はメーカー系列の商社の子会社だが、中国からベトナムへと外注先をシフトしている最中らしい。その国の歴史を知るというのは必要なことだが、目の前の交渉相手はかの国の歴史に似合わず、面倒なことを言ってこちらを戸惑わせる。そのギャップがどうにも腑に落ちないといった様子だ。そりゃいかに激烈な戦争を勝ち抜いた国の国民とはいえ、その人だって戦争は父母の時代で終わったものだろうから、いわば戦後を生きているわけだ。生きるためには面倒なことも言わねばならぬのだろう。素直で正直、そして豊かに育ち、人に迷惑をかけるな、人をだますな、と教えられてきた日本人にとっては面食らうこともあるかもしれないね。

 さて、そのタカシはまだ成田空港にいるらしい。一夜明けても滑走路が閉鎖されて飛行機が飛べないのだそうだ。さてどうなることか。半日遅れで出発できるのかそれともこのまま帰ってこざるを得ないのか。3人の孫たちは小学校と保育園に元気で出かけた。雪の朝もいいものだ。タックンは今日は雪遊びをやるのだとうれしそうだ。
 
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【79】通い慣れた保育園と病院と [保育園送迎記]

 寒い日が続きます。身体が弱ったせいか、例年より寒さが厳しい気がしますが気のせいですかね。さて、わが孫たちは寒さにもめげずに毎日保育園に通っています。さすがに朝出かけるときはギャーギャーと機嫌が悪く騒ぐときもありますが、保育園に着いてしまえば、元気よく遊んでいます。
 
 さて、一昨日は私の3ヶ月に一度の診察日。孫2人をクルマで送ってから、病院へと向かいます。先々週からMRI(脳)、RI(骨)、CT(肺)と検査し、昨日は血液検査。これだけの検査を経ての診察です。結果を聞くのは何遍やっても不安な気持ちになるものです。このところ身体の調子はだいぶ上向きなのですが、検査の結果はそういうこととは無関係であるのは昨年春の検査結果からもわかります。からだの調子よくてもガンはできるのです。はい。

 検査の結果を受けて、主治医との会話。

医「一通り見ましたが、結論的に言うと異常はありません」
私「そうですか。それはそれは……(涙)←うそ」
医「見た目、異常はありませんが、どこかに隠れているかもしれません」
私「またそんなこわいこと言って」

 この医者はまだ若い。30代だと思う。だからこんな気安い言葉遣いをする。

医「どうですか、最近の調子は?」
私「それがかなり上向いているみたいで、いいんですよ。もちろん元(手術前)に戻って走り回れるほどではありませんが」
医「抗がん剤をやめてほぼ1年ですが」
私「調子がいいのは一時的かもしれませんが、やはりやめてよかったですね。その肺のCTの画像から良くなっているように見えますか」

 CTの肺の画像がモニターに映っている。知らない人が見たら、手術して半分ほど欠けた無惨な肺の画像を見るとギョッとするかもしれない。いわゆる手術痕に水がたまっている状態で、このおかげで息苦しさや立ちくらみなどが絶えなかったが、ここへきてだいぶ改善された。

医「いや、良くなってはいません。これはもう変わらんでしょう。ただ、ここへきて身体が慣れてきたのかもしれません。残っている機能が失った機能をカバーしだしたんですよ」
私「ラジオ体操を毎朝やってるんですが、両足跳びができるようになりましたよ」
医「ほう。それはいいことです。鍛えることを続けてください」
私「ただ、体重がなかなか戻りません」
医「そのうち筋肉が少しずつ戻ってきますよ。まだ64ですからね。脂肪で太ってはいけません」
私「ただ、転移や再発のリスクは依然としてあると?」
医「そうです!(いやにキッパリ)。5年もてばなんとか安心できますが」
私「そうなんです。80なら希望などいりませんが、まだあと10年くらいはとは思ってるんですが」
医「これまでの生活を続けてください。また3ヶ月後に来てください」

 このまま改善されていくのか、それともまた落とし穴が待っているのか。それはわからない。ただ、この病気とつきあいだしてもう6年以上になる。何が起こってもそう気落ちすることもなくなってきたように思う。なるようにしかならない。あるものをないとはいえない。

 さて、また今日も2人を迎えに行かなくてはならない。あと何年かな。私の身体が持つか、孫たちの卒園の方が早いか。だれにもわからない。



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